安 蘭 樹 の 咲 く 庭 で

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記念撮影
「済みません」

待機を言い渡されて立っていたら、そう声を掛けられた。
顔を上げれば声の主はぼくと同じくらいの年の女の子。
日本語だったから少し驚いて、軽く眼を瞬いた。
一瞬後すぐに視たのは、あの人が何時戻ってくるか。
ああ。
まだ、大丈夫。

「・・・あ、えっと。何でしょう?」

そう問い返せば、女の子はにこりと笑って、持っていたカメラをぼくに差し出す。

「悪いんですけど、写真撮ってもらえませんか?」

そう言って指した先には、その子と同じくらいの年の日本人の、数名の集団。
海外旅行の記念撮影、らしい。
もう手の届かない過去の記憶が、痛みを伴って脳裏に蘇った。

記憶にある最後の記念撮影は。
家族旅行で、だった。

そっと苦笑して、記憶を振り払う。
いくら思っても、もう、戻って来ない。
戻ることは、できない。
戻りたいと思っては、いけない。
戻りたいと逃げたいは、同じだから。

「―――――いいですよ。ぼくでよければ」

カメラを受け取って、出来るだけ自然に、と心がけて、笑った。









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一年365日
一年、365日。
心の休まる日なんて、なかった。

気を抜けば、待っていたのは死だった。
或いはそれで死んでいた方が、色々な人のためだったのかもしれない。

ぼくが進んで殺した人はいないけど。
ぼくがいなければ死ななかった人は、きっといた。
ぼくが、殺してしまった、人が。

聞いたのはあの人で、告げたのはぼくで。
指図するのはあの人で、手助けするのはぼく。
ぼくが、いなければ。
逃げ切れたかもしれない人は、きっと、いた。

くる日もくる日も、ぼくは予知を続けて。
一年365日、休む事無く人を不幸にする手助けをした。
代わりにあの人が得をする。

他人の命を取り上げて、あの人は自分の未来を広げていく。

そうだぼくは知っていた。

ただ視てないふりを、していただけ。


ぼくはこの人と、無数に積み上げられた屍の上に立っている。












//16歳
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チョコレート乱舞!
右を見ても、左を見ても、前を見ても、後ろを見ても。

「バレンタイン」と「チョコレート」が、目に入った。

流石本番。
と、そんなことを思う。

薔薇を抱えて歩く男の人とすれ違う。
有名チョコレートブランドの紙袋を持った女性のグループが、楽しげに通りすぎた。
男女のカップルが身を寄せ合って歩くのも、多く見える。

こんなに凄かったっけ、と、それが感想だった。

ぼくの記憶の「バレンタイン」は、母さんが父さんに手作りチョコレートを渡す日で。
仲睦ましい両親は、ぼくが居ることを半ば無視してラブラブだった。
だから、かもしれないけど。
バレンタイン近くに繁華街に出た記憶もあまりなくて、こんなにチョコレート商戦が凄いような記憶もなかった。

人並みに甘いものは好きだから、嫌ではない、けど。

甘い、匂いが辺りに充満していて。
くらりと、眩暈がした。



コンクリートの無機質な部屋。
ぼくを囲む白衣の人。
注射針。
響く時計の音。
緩く立ち上る煙。

甘ったるい、香り。



記憶が途切れる、「実験」。


軽く首を振る。
これはチョコレートの香りだ。
それとは関係ない。

「バレンタイン」が溢れる繁華街で、ぼくは一人、喧騒の少ないほうへと歩き出す。









//20歳
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転んだことにも気付かない
必死で走る。
走って走って走って走れば、きっと、追いつけると思った。
きっと。

「待ってっ・・・・・!」

手を伸ばす。
悲鳴のような声と、荒れた息が、零れた。

「お願い、待って・・・・!!」

お願い。
お願いだから。
お願いだから、それだけは。

一瞬視界がぐら付いて、身体が動かなくなる。
すぐに視界を元に戻して、また必死で駆けた。
走り出してから、ああ今のは転んだのだと、気付いた。
本当に、無我夢中で。
転んだことにも気付かない。
涙で視界が滲む。
ぼろぼろと、まるで小さな子供のように泣きながら、ぼくは、必死で。

「―――――――待って!!」

それは。

それは、ぼくの、大切な―――――――!!









そこで目が、覚めた。

起き上がる。
涙の伝う頬を拭って、目頭を押さえた。

苦笑、する。

なんて、夢。




必死で追うほどに大切なものなんて、今のぼくには何もないのに。









//18歳
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初夢
夢を見た。
哀しいのか苦しいのかそれとも嬉しいのか、わからない、夢。
或いはそれは未来だったのかもしれない。
ぼくの能力が予知夢となって現れることは、そんなに珍しいことではなかったから。

それはぼくが死ぬ夢だった。

起きたら泣いていた。

ぼくはナイフか何かで刺されていて、一瞬では死ななかった。
立つことのできないぼくを、誰かが抱いてくれていた。
ぼくは死にたくなかった。
だけど一人で死なないことが、嬉しかった。

誰かは血の止まらないぼくを抱えて、泣いていた。

ぼくは、それが。

嬉しかった。

けれど、泣かせてしまったことが、哀しかった。
苦しかった。

せめて、一言。
言いたいと思う。
夢なのに、思考は夢だと知らないから、それは真剣な「想い」だった。

奇跡を願う。

声よ。
喉よ。

一言。たった一言で、いいから。

「――――――・・・、・・・・・・」

ありがとう?
ごめんなさい?
さようなら?

ううん、違う。
ぼくが、言いたいの、は―――――




そしてそこで、ぼくは目を開けたのだ。

誰だろう、と、思う。
ぼくが死んで泣く人なんて、誰もいないのに。
刺されて倒れて、支えてくれる人なんて、誰も。

心理学的に、夢は願望の形なのだと聞いた。
願望と経験が交ざる、幻。

「自身の死」。
意味は逃避か、離脱。

奇しくもそれは、今年の初夢だった。

願望か幻か、それとも未来か。

ただ真実とわかるのは、夢に感じた感情だけ。









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均一セール
機動隊とクーデターの武力衝突。
東南アジアで起きた、暴動。
外国の、遠い出来事。
けれどぼくは、知っている。

この暴動の脚本を書き裏で糸を引いたのは、この人だ。

その国の人たちは真剣に、国を憂いていたのに。
生半可な気持ちで、操っていいものではないのに。
この人は、「金になる」というただ一事で、あの人たちを利用した。

銃弾と銃器をばら撒き。
甘い言葉と罠を含んだ策を吹き込み。
死地へと躍らせた。

この人は、恐い、人。

知っていたつもりだったけど、認識が甘かったと悟る。

この人は。


ほんとうに、人間だろうか?


能力的にはぼくの方がよほど化け物じみているのは認める。
けれどこの人の、この思考。
人は此処まで完全に、無慈悲になれる生き物なのだろうか。

戦慄、した。

この人は、「無事」戦端が開かれたという報せを聞き、楽しそうに、笑っって。
言ったのだ。

「どこかの均一セール並に銃弾も銃器もばら撒いたんだ。始まって、精々派手に死んでくれないと困る」

命を。
何とも思っていない、言葉。

脳髄まで、刻み込まれる。
それは恐怖。



ああやはり。
この人はとても、恐い人だ。









//17歳
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自然の脅威
思わず、身体を竦める。
小さく悲鳴が漏れたけど、どうにかそれだけで恐怖をやり過ごした。
未来を視て恐怖を感じたのは、初めてではなかった。
けれどこれを同種の恐怖を感じたのは、まだたったの2度目だ。

前回は、土砂崩れだった。
家も車もまるで玩具のように、土に呑まれて崩れていく。
道も森も人も動物も区別なく、ただただ強引に、苛烈に猛威を振るう。
人の起こす恐怖とはまた違う、震撼するような、恐怖。
それは天災と呼ばれるもの。
神の怒りと、恐れられるもの。

「・・・・・・・20日後・・・」

自然の、脅威。

ぼくが視た2度目の天災は、噴火という形をしていた。

灼熱が地を舐め、人を焼く。
木々も皆炭と化し、静かになった街には灰が降り注ぐ。
世界が灰色に染められていく。

「20日後、山が、噴火する・・・!」

戦慄が浸透して、次に街の人を避難させなくてはと思考が転じる。
何も考えず踵を返したぼくの手を、誰かが掴んだ。
邪魔をしないでと、反射的に言いかけて。

「何処へ行く?」

刺すような冷たい目線と行動を縛る声に、全ての動きを止めた。

まさか、と、思う。
この場所の予知をさせたのはこの人で。
こんなの予測できるはずもないけど。
でも噴火はもう、20日後で。
まさか。
だって、そんな。

「噴火は20日後か。運がいいな」

耳が聞いた台詞を否定する。

運が。
・・・・いい?

何を言っているのか、わからなかった。

「マグマが、街まで、届く。街の人たちに、避難を・・・!」

赤い液状の火は土を這い、森を焼き、人を焼く。
街は死に、動くものはなく。
惨劇もなく、ただ命が散る。

それの何処が、運がいいのか。

「何も言う必要はない」
「でもっ」
「でも?」
「っ・・・!」

ぼくの腕を掴んだ手は、ちっとも揺るがない。
それどころかますます強くなって、ぼくの行動の自由を奪った。
わからない。
わからないわからないわからない。
わかりたく、ない。

「逆らう気か?花梨」

違う。
そうじゃない、逆らいたいわけじゃなくて。
言おうとするけど、視線を合わせた途端、全ての言葉は萎縮した。
喉の奥に張り付いて、外に出ない。
ああ駄目だと、思う。
悟る。

この人は、人が死ぬことなんて、どうにも思ってない。

「一儲けする。勝手に情報を漏らすな」

くらりと、目の前が暗くなった。

どうして。

どうしてこんなにも、この人との距離は、遠い。

同じ言葉を話しているはずなのに、どうして。

通じない。

「帰るぞ。・・・・そんなに気になるなら、何人死んだか結果だけは後で教えてやる」

浮かぶのは、嘲笑。
どこまでも、ぼくを愚かと蔑む、視線。

絶望が、心を塗り潰す。

どう、して。

知っているのに、ぼくにはまた、何も出来ない。





後日ぼくに齎されたのは、取り返しの付かないほどの、膨大な数の死者数。
有志に残る大規模な災害だったと、言う報せ。









//16歳
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命の重さ
「此処」では、命は軽い。
哀しいことに、とてもとても、軽い。

昨日立っていた人が次の日にはいなくなっている。
そんなことは珍しくもなくて。
目の前で人が死ぬことも。
やっぱり珍しくなくて。
殺せと指示が下され、それが実行されることも。
珍しいわけが、ない。

麻痺していく。
嘆きが潰えていく。
何も思わなくなっていく。

死は事象ではなくなり、ただの数字と成り果てる。

ぼくのところまで届く死は、あまりないのだろうけど。
それでも尋常な感覚は、消え失せていく。

重いのは情報で。
重いのは金銭で。
重いのは権力。

命は皆、使い捨て。

それはだって、「彼」が、はっきりそう、言うから。

「使えるモノだけ使ってやる。使えないモノは死ね」

あとは右に倣えだ。

昔は違ったのだ。
ぼくを最初に買った先代の「ボス」は、いい人では決してなかったけど、「彼」ほど極端ではなかった。
少なくとも、ファミリーは守っていた。
ゴッドファーザー。
その名前を体言していたような、ボス。
それでもやはり、ファミリー意外の人間の命はとても軽かったけど。

「彼」の。
今の「ボス」の前では、命は塵芥に等しい。

利用する、利用する、利用する。
生も死も、利用できるモノは全て。

命の重さが、狂っていく。

重さを測る天秤の片側には、一体、何が乗るのだろうか。









//18歳
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クイズ!
「どっちでしょーか!」

唐突にそう聞かれて、ぼくは首を傾げた。
何が?
そう答える。
聞き返された彼は、確か、つまらなそうに口を尖らせたのだ。

「こういうときは適当にでも答えろよな。つまんねーの」

御免、と、ぼくは謝って。
小学校のクラスのムードメーカーだった彼は、すぐに表情を変えた。
くるくると、表情の変わる男の子だった。
明るくて、ちょっと不真面目で、勉強よりも体育が好きな、普通の。
どこにでもいるような、男の子、だった。

「ま、いいや。クイズクイズ。椅子は「ある」、机は「ない」。糸は「ある」、紐は「ない」。では本は「ある」か「ない」か!どっちでしょう?」

テレビでやっていたのだったか。
その時は、そんなクイズが結構流行っていて。
最初の言葉がようやく繋がって、ちょっと考えてぼくは「ない」と答えた。
彼は、悪戯が成功したときのように、嬉しそうに、笑った。

「ハズレー!」

遠い思い出。
在りし日の、他愛もない、ワンシーン。
なのに。
どうしてこんなにも、哀しいのか。
どうして。
何度目かに、そう、思った。
ぼくを見て、彼は目を瞠る。
そして何か納得したように、薄く笑った。
苦笑の、ようだった。
彼もまた、過去を懐かしんだのかもしれないと、少し、思った。
彼が口を開く。

「・・・・・「再び見る」と「神の御加護を」と「平和を求める仕草」。共通する意味は?」

ぼくの隣で、黒服の男が眉を寄せる。
とうとう壊れたか?と、嘲笑した。

泣きたくなった。
人違いであって欲しかった。
ぼくの勘違いであって、欲しかった。

でも。
その願いは裏切られた。

ぼくはクイズに答えられない。
彼は、あの時とは違って淡く、口元だけで、笑った。

「・・・つまらない奴だな。適当でも、答えろよ」

こんなところで。
会いたくなかった。
会うことはないと、思っていた。

どうしようもない答えがわかってしまって、顔を歪める。
御免、と、あの時と同じ言葉を、言った。

「ハズレだ。正解は―――――・・・」

黒服の男に腕を引かれる。
ぼくの仕事は終った。
彼ではない、もう一人の男の未来を見て、それで。
だからもう、この部屋には居られない。
庇えない。
助けられない。
そして彼は、それを、知っている。
恐らく捕まったときに、もう。
悟っていて。

「正解は、「さようなら」だ」

その声と同時に、部屋の扉が、音を立てて閉められた。

どうしてと、それだけを、思った。









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金の卵を産む鶏。
金のなる木。
何でもいいが、それに等しいモノ。
それが「狂った時計」―――――不動花梨だった。





未来の情報は金になる。
使いようは幾らでもある。
それが的中率90%以上のものであれば、尚更。

信じられないと鼻で笑うものは相手にしない。
追いすがって証拠を見せてやるほど親切じゃない。
見る目のある人間。
鼻の利く人間。
そういう、俺が利用価値を見出せる人間だけが、俺に取引を持ちかけてくる。
俺はその取引に時に応じ、時に応じずそいつらを利用する。

「貸し出し?」
「ああ。金なら幾らでも出す!だから頼む。我々に、『時計』を!」
「幾らでも、ねぇ。具体的に幾らだ」
「・・・、・・・・・1億ドル」
「はっ・・・!寝ぼけてるのか、お前」
「っ、5億までなら出せる!」
「桁が違うつってんだよ。10億ドルでも安い」
「なっ・・・貸し出しだぞ!?」

嘲笑する。
こいつはそれなりに使えるモノかと思ってたが、そうでもなかったらしい。
こんな取引で、俺から金のなる木を掠め取れると思っているとは。
「時計」なら、貸し出す数日で、10億ドルを稼ぐのは難しくない。
もちろん使い方による。持ち主が無能なら、道具が上手く機能しないのは当たり前だ。
嘲笑を顔に刻んだまま、立ち上がった。

「一昨日来やがれ」

取引の決裂を悟って、両隣に立っていた部下が取引相手を拘束する。
俺はその姿を見もせずに、背を向けた。
ぱんっと、軽い音が、する。
その音を聞いて、ああ、と、足を止めた。

「しまった、間違えた。死んだらもう来れないな」

振り返りはしない。肩を竦めるだけで、また足を動かす。
進みながら、ついてきた部下に指示を出した。
あの組織ももう不要だなと、それだけ言う。
それだけで何を言っているかわからないモノは、俺の部下にはいない。
「はい」と頷いて、部下が一人消えた。
そして俺は、エレベーターから足を踏み出す。
そのフロアには、部下は誰も付いて来なかった。
幹部以外、立ち入り禁止。
そういうフロアだ。
重要機密のある、フロア。
ついさっき死んだ男が借りたいと言った「時計」は、そこに居た。

扉を開ければ、俺を振り返る。

「・・・・・仕事?」

未来が見える、気色悪い、バケモノ。

髪を長く伸ばした少女。
着ているのは部下が用意した、適当で簡素なワンピース。
ワンピースである理由は、その方が検査が楽だから、だ。
研究者どもは涎を垂らさんばかりの熱心さで、コレの研究をしてるという。
滑稽なことだと思う。メカニズムを追求して、どうするのか。
バケモノはバケモノ。できるということがわかれば、他はどうでもいい。
研究も使いようによっては役には立つから、やらせてはいるが。

金を生む鶏がこんな姿をしてるとは、他の組織は知らない。

無用な問いをした「時計」に、頷く。
口を開けば、何かを諦めるように軽く目を伏せた。

「他にお前を呼ぶ理由があるか?」
「・・・そうだね」

使いようによっては数日で10億ドルでも50億ドルでも稼ぐ「時計」。
1億ドルで借りたいと言ったが、実は中々いい値ではあった。
1億ドル。
それは。

「行くぞ」

このバケモノを買った値段、だった。

俺はそんなはした金で、この便利な道具を手放す気はない。









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だらしのない
「ああ、もう、だらしのない」

そんな言葉が聞こえて、振り向いた。
振り向いた瞬間目に入ったのは、一人の母子。
子供はもう「子供」という年ではない、立派な大人。
けれど母親はどうも若干過保護らしく、一々男の動向に口を出していた。
男が母親の言葉に眉を寄せる。

その、瞬間。

見ている映像が、ぶれた。

未来が映る。

名前も知らないその男の、未来。

わかってしまう。
知ってしまう。

近い、将来。
それは明日か明後日か、それとも一週間後か、一ヵ月後か。
少なくとも、一年以内に。



あの男は、母親を包丁で刺し殺す。



それは発作的な犯行か、それとも計画的な犯行か。
わからないけれど、とにかく、その男は、母親を刺して、そして、母親は死ぬ。
ぼくはその場から動けない。
立ち止まったまま、ただ、その男を凝視する。
ぼくの視線に気付いた男が、ぼくを振り返って訝しげに眉を寄せる。
視線の意味は、「何だコイツ」、だろう。
見知らぬ人。
関わりもない人間。
そんなものが見ていたら誰だって眉を寄せるだろう。
でも。
それでもぼくは、その男から目が離せなかった。

何も出来ない。
未来に罪を犯すから、と言っても、警察は信じてくれない。
それに、未来は変わる。
ほんの些細な切欠で、未来は変わる。
だから、それを根拠に彼を拘束したりはできない。

ちゃんと予知をして、日付を知れれば、ぼくが彼を止めることもできるし、間に合わなくても刺された母親を病院に運ぶこともできる。
そうすれば、死なないかもしれない。
けど。
部屋に見えた。
家に見えた。

鍵が掛かっていたら?
彼らの家が、とても遠い場所にあったら?

ぼくに何かができる、なんて。

ぼくには信じられない。

「あの」

けれどそれでも。
それでも――――――・・・。

「・・・いい、お母さんですね」

放っておくことは、できない。

男の眉根が跳ね上がる。
不快そうな顔。
一緒に居た母親も、いきなりそんなことを言ったぼくに不審そうな顔を向ける。
ぼくはもう一度、言った。

「いいお母さんですね。羨ましいです」

こんなことしか言えない。
それでも、これで。
少し。
少しでも、いいから。

視えた画が、軽くぶれた、気がした。









//20歳(くらい)

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歓喜
歓喜に沸く。
煩いほどに溢れた歓声が、酷く耳障りだった。

「我らは「時計」を手に入れた!」

歓喜を煽る、隣の声。
これもやはり、耳障りで。
架せられた首と手足の鎖が、異様に冷たかった。
密度の濃い歓声と熱狂で温度の高い、部屋。
暑く感じても可笑しくないはずなのに、汗一つかかない。
感覚が麻痺しているのか、暑いは愚か暖かいとすら思わなかった。

シークレット・コードNo,00『狂った時計』。
それがぼくに付けられた道具としての呼び名。
あのファミリーでは、大抵『時計(クロック)』とだけ呼ぶ人が多かった。
そもそも呼ばない人、「アレ」で片付けられることが一番多かったけれど、次に多かったのはこれだった。
もしくは、SC00。第一級の組織機密。
ぼくの存在は、他の組織に知られてはならない。
「未来がわかる」という情報はいい。
それがぼくだと、知られてはいけない。
それはファミリーの不利益。
ぼくが狙われることは、好ましくない。

だからぼくが「時計」だということは、ファミリー外には流出禁止。
なのに今、ぼくが他のファミリーに捕まっているという、それは。

ウラギリモノが、居る。

そういう、こと。

ああきっと、戻ったらまた何か視させられて。
そして「粛清」が、行われる。
ぼくが、引き起こす、制裁。

いまだ覚めやらない熱烈な歓喜の中で、目を、閉じる。

視えるのは歓声を上げる人たちでは、なく。





浴びる様に降る銃弾の雨と、溜まる血の赤と、ゴミのような黒い塊。





あと、30分後。
歓喜は惨劇に変わる。
ぼくに付けられた発信機を辿って、「ボス」が、来る。









//20歳

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自由の象徴
ぼくは別に、閉じ込められていたわけではない。
部屋には鍵があって自由に出入りは出来なかったけど、理由があれば部屋から出れた。
とは言え「理由」なんて仕事以外の何があるわけもなかったから、どちらかと言えば出たくもないという思いはあったけど。

ぼくの予知は予知の対象者を直接視認しなければ出来ないから、外にも連れ出された。
それも自由には行けなかったけれど、常に誰かが居ただけで、鎖に繋がれていたわけではない。
だから空が見たいとか、自分の足で歩きたいとか、そういうことを思ったことはない。
なら自由の象徴がなかったか、と言われれば、決してそうではなくて。

「あ・・・・」

すれ違う人の、楽しそうな顔。
広場の隅には、移動式の屋台。
クレープの甘い匂いが、辺りに広がっていた。

思わず、立ち止まる。

あれが。
あの頃のぼくの、自由の形だった。

友達と、家族と、恋人と。
他愛のない話をしながら、気軽に屋台の食べ物を買う人たち。
イタリアはジェラートが多かった。
大道芸のピエロの隣には、いつも何かの屋台があって。
楽しそう、だった。
ぼくを連れた「使用者」は例えぼくが立ち止まっても怒るか命令するかするだけで、ぼくもそのまま通り過ぎるのが当たり前だったけど。

「・・・あの。一つ、下さい」

今ぼくは、自由で。

甘い香りのクレープを受け取って、思わず微笑む。
歩きながら、買ったそれを口にした。

嬉しい。

ああぼくはちゃんと、自由だ。









//20歳
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この気持ち、隠し切れない
隠すことが難しい感情が三つある。

一つは嘲り。
この世は誰も彼も何て愚かしく、笑ってはいけない場面でもつい嘲笑が浮かぶ。
一つは愉悦。
要らないモノを壊すのはとても心地よく、血も悲鳴も愉快で仕方がない。それを隠すのは、とても難しい。

そして、もう一つは。

「よお花梨。まだ予知能力は顕在か?」
「・・・・・・・お蔭様で」
「まだ役に立ってるのか?ツマラナイな。実にツマラナイ」

心の奥底から湧き上がる、暗く昏い、欲望。

ガキの頃から細い首に手を伸ばす。
指で喉に触れて、輪郭に沿うようにつうと撫でて。

「・・・・触らないでくれる?」
「早く・・・早く、壊れればいいのに。ああお前、そろそろ予知が出来なくなればいい」
「その手を、退けて」
「ツレナイなぁ。同じ道具同士、ナカヨクしようとしてるのに」

ああ。

ああ、ああ、ああ。

嗚呼。

つい無意識に、舌なめずり。
顔に浮かぶのは、淫靡な笑み。
昏い欲望。
隠し切れない、衝動。
ああ、ツマラナイ。
あとほんの少し、数ミリ、ちょっとだけ。



――――力を篭めれば、殺せるのに。



「お前の血が見たいなァ・・・・断末魔が聞きたいなァ・・・なぁ、マダマダ顕在か?」



俺は初めてお前と向かい合ったその瞬間から、お前が殺したくて仕方がない。

一分一秒でも早く、お払い箱になればイイのに。

そうしたら。

完膚なきまでに完全無欠に、骨の髄まで苦しめて、心行くまで殺してやるのに。

「・・・・残念ながら、そんな予定はないよ」

この気持ち、隠し切れない。
そしてまた。

「それはそれは、ホントに、残念だ」

隠すつもりも隠す意味も、何処にもない。









//18歳

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LDK
約10年ぶりに一人で外に出た日。
真っ先に、ぼくは空港に向かった。
独学の聞き取り英語は完璧とは言い難く、四苦八苦しながら、それでも目指したのは空港だった。
―――――日本、だった。

結局パスポートはないわお金はないわで、すぐには飛行機には乗れなかったのだけど。
ぼくは、帰りたかった。
ぼくの、生まれた国へ。
ぼくの、生まれた場所へ。

すぐには帰れないと知って、ぼくは方針を変えた。
頼み込んで料金を後払いにして貰い、ホテルを借りて。
銀行に口座を作って、「仕事」に報酬を貰うことに決めた。
自由になっても、どうせ仕事からは逃れられない。
それから逃げようとしたら、永遠に囚われるだけだ。
なら、少しでも、損害を与えてやろうと思った。

金額は、昔決めた額と同じ。
今度は借金の返済ではなく、預金になる。

たった一ヵ月で、預金はアメリカドルで0が4つ並んだ。

その頃にはパスポートも再発行の手続きが済んだ。
もともとぼくは前科もない、普通の日本人で。
行方不明にも死亡にもなっていなかったから、発行は簡単だった。

そして。
ぼくは、日本に帰ってきた。

約10年ぶりに訪れた日本はほとんど記憶と違っていた。
昔住んでいた家はなくなっていて、周囲も開発で変わっていて。
記憶と変わらなかったのは出雲大社くらいだった。
少し調べたら、ぼくの住んでいた家が火事になったことはすぐにわかった。
放火だったと、言う。
住民は行方不明。
問い詰めるまでもない。
誰がやったかは、すぐに思い当たった。
兄さんのときは研究所だったからよかった。でも、ぼくのときは、マフィア。
相手が悪かったと、そういうことなのだろう。
焼け跡のあとにはもう新しい家が建っていた。
その年月が切なくて、でも、ぼくは泣けなかった。
幼いぼくは両親が好きだった。
今のぼくは、どうなのか。
よくわからなかった。
だから、泣けないのだろうと思った。
実際は、実感が湧かなかった、というのが正直なところかもしれない。

出雲はあまりにも切なかったので、ぼくは東京に住むことにした。
理由は二つ。
一つは仕事で呼ばれても、交通が便利だから。
もう一つは、沢山の人が居るから。

東京に着いたぼくは、最初はぶらぶらと無意味に歩き回った。
次にお金だけはあったから、適当な部屋を借りた。
2LDKの、シンプルなアパート。
ぼくの、家。
居なければいけない場所ではなく。
与えられた場所でもなく。
ぼくが選んだ、ぼくが居てもいい、場所。

これがぼくの、第一歩。
「自由」が、漸く始まる。









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呼び声
ぼくを呼ぶ声が聞こえる。
それは聞き覚えのある声。
知っている人の声。

「花梨ちゃん」

可愛らしく笑う、女の子の、声。

「花梨ちゃん」

ぼくも名前を呼び返すけど、その声はぼくの耳には入ってこなかった。
彼女はぼくの声を聞いて、屈託なく、笑う。
そしてぼくに近寄って、笑顔のまま、一言言った。

「ねぇどうして、助けてくれなかったの?」

ぼくは。
何も、答えられない。

「花梨ちゃん――――・・・」

彼女の手がぼくの首に伸びる。
絡みつく指が、酷く鮮烈で。

ぼくは、彼女になら、殺されてもいいと、確かに思ったのだ。

例え彼女の全てが演技だったとしても。
ぼくは彼女に癒されたから、それで。
もうそれだけで、いいと、思ったのだ。

「――――――――・・・こよみ、ちゃん」

ぼくの呟いた声は、幻の少女には届かず空気に溶けた。









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照れたように笑う顔
ぼくがちょっと君を褒めると、君は笑った。
照れたようにはにかんで笑う君が、ぼくは好きだった。

唯一の「友達」だった。
心を許せる、たった一人の。
「使用者」と一緒でなければ一歩も建物の外に出られないぼくの、話し相手に連れてこられた君。
ぼくさえ居なければこんな場所には来なくて済んだ、被害者だった。

此処に買われたぼくが、あまりに気の置けない環境に塞ぎこんで。
「仕事」に支障が出始めたための、打開策。

ぼくは彼女が好きだった。
そして彼女は。


ぼくの目の前で、撃たれて死んだ。


笑顔が好きだった。
ぼくが褒めると照れたように笑う顔が、好きだった。

けれどもう、その笑顔は永遠に見れることはない。

動かない過去に、時折振り返るのみでしか、あの笑顔には会えない。
やがて埋もれて小さくなっていく、けれど絶対に忘れられない大切な記憶。









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Dear
気分転換と暇つぶしで買い物に出かけて、文具屋さんで綺麗な便箋と封筒を見つけた。
手触りのいい紙の、邪魔ではない程度に精緻な柄が入った揃いのレターセット。
少し探すと蝋で封をする道具も近くにあって、つい、一式買ってしまった。
此処まで揃えたのだから、と、書くものもボールペンでは味気ないので万年筆を用意して。

便箋の最初の行に「Dear」と書き込んで、そのまま手が止まった。

親愛なる――――・・・。

その先に続く名詞が、幾ら考えても思い浮かばなかった。

苦笑する。

綺麗な便箋と、封筒。
封をするための蝋に、蝋判。
手紙を書く、万年筆。

手紙を出すための準備は綺麗に整ったのに、出すことが出来ない。
出す相手が、ぼくにはいない。

何で気付かなかったのだろう。
買うときに、気付いても良さそうだ。
自由に一人で買い物ができるだけで嬉しくて、はしゃいで居ただろうか。
少しは慣れたと、思っていたのに。

「・・・勿体無いなぁ・・・」

小さく息を吐いて、万年筆を仕舞おうとして。
そこで、気分を変えてもう一度便箋に向き直った。

「Dear」の次に、字を書き足す。





――――親愛なる、誰かへ。





手紙はそう、書き始めた。
結局出すことはできなかったけど。
その手紙は今でも、机の引き出しに大事に仕舞ってある。









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曖昧な記憶
記憶力はいい方だ。
特に予知の記憶は強い。忘れ辛いと言ったほうが正確かもしれない。
けれど、幾つか妙に曖昧な記憶がある。
何故曖昧なのか。その理由はわかっている。
けれど打開策は、ない。

「聞こえるか、花梨」

こくりと、首だけで頷く。
意識しての動きではない。反射のような、頷き。
思考は混濁している。
自分が何を言っているのか、何をしているのか、何も把握していない。

男が白衣のスタッフに合図して、スタッフは無言でぼくの腕から注射針を抜いた。
注射器の中身は、ぼくの血液に混ざってもうない。
頭がぼおっとして、現実と夢の区別が曖昧な状態。
故意にその状態を作り出した、薬。

これは実験だった。

「俺の側近を知ってるな?」

ぼくはまた頷く。
白衣のスタッフは、やはり黙って部屋を出て行った。

「アイツの5分後の未来を言え」
「・・・・たばこ・・・買う」
「銘柄は?」
「・・・マルボロ。・・・・と・・・青い・・・マイルドセブン」

そして五分後、またスタッフが現れて、男に何かを耳打ちする。
実験結果を聞いて、男はぼくに目を向けて笑った。
くつくつと、楽しそうに、満足げに。
ぼくの頭を、軽く撫でる。
普段そんなことをされたらぼくは絶対に拒否反応を起こすけど、今は何も感じない。

「お前は本当に使える『いい子』だよ、花梨」

焦点の合わない目は、何も映さず。
首振り人形のように、ただ言われた言葉にだけ反応する。

それは道具として、理想の姿。

この実験は嫌いだった。
これはぼくの保障も未来も夢も覆す、恐ろしい実験。

ぼくの意識を薬で奪っても、予知を引き出せるかどうかの、実験。

失敗が続いていた実験は、今回成功した。
どの程度の自我レベルなら予知が成功するか、そのラインが、わかってしまった。
もちろんぼくは、何度目かの実験結果はすべて、よく知らない。
自分の言った言葉も、行った予知も、覚えていないから。
合っていたかいないかも、わからない。

ただ、わかるのは。

目が覚めた後曖昧な記憶の空白の時間があることと、それ以降実験が少なくなったということだけ。

ずきりと、頭が痛む。

腕にある注射の痕が、忌まわしかった。

ぼくは役に立つ。
だから、役に立っているうちは命の補償をされている。けれど。

役に立つのは「ぼく」ではなく、ぼくの持つ「予知」。

このままでは、いつか。

ぼくは、あの男に消されるだろう。

「起きたか、花梨」
「・・・・何したの」
「知りたいか?」
「・・・・・・・・・いい」
「安心しろ、コレは教えない」
「・・・・・・・・・・・・」






――――それでも、打開策は、ない。









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女心のように
日差しが大分柔らかくなって、暖かさの勢いが変わってきた。
朝と夕は涼しくなり、天候は移ろい易い。
俗に言う、女心のような、空模様。

考えてみれば失礼な話だと思う。
女心のように、ころころ変わる秋の空。
女性にも空にも、失礼だ。
言わせて貰えば女性よりも男性の方が心変わりし易いし、そもそも女性が心変わりする理由の大半は男性にある。

つまり、何が言いたいかと言うと。

「・・・・最低」
「今更」
「・・・・・。・・・そうだね」

利用した男。
哀れな女性。
そんな人たちは、望んでいなくても、たくさん見てきた。
見せられてきた。
逆がなかったとは言わない。マフィアで生きる女性は皆それぞれに強かで、計算高い。
それでも絶対数において、犠牲者は圧倒的に女性だった。

何処かへ売られていく女性たちを視たことがある。
正確には、彼女たちがいた部屋を。
どういう手段を使ったのか、そのうちの一人は敵組織のスパイだった。
けれどスパイはたった一人だけ。
他の女性たちは、被害者で。
涙の後が痛々しくて、どうにかできないのかと胸が締め付けられて。

けれどそんなぼくを見て、男は笑った。

「買われたモノが売られるモノを哀れむか?滑稽なことだ」

ぼくは無力なのだと、そのたった一言で思い知らされる。

「余計なことはするな。行くぞ」

女心のように、とまでは言わないけれど。

この男の心は、何かで変わることはあるのだろうかと、たまに、疑問に思う。










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人を活かす
「「人を活かす気はないのか」、だと?」

聞いてみたら、その男は鼻で笑った。
しかもよほど可笑しかったらしく、くっくっと低い笑い声まで続く。
馬鹿じゃないのかと、その目が、その顔が、その声が語っていた。

男は言う。

「生きるために必要なのは人を活かす才能なんかじゃない」

むしろ邪魔だと、言い切った。

「この世界で要るのは、人を道具として使い捨てる才能だ」

ああ、そうだった。
めまいがする。
ぼくは馬鹿か?

この男はこういう男だと、嫌と言うほど知っていたはずなのに。

そして実際。
この男の言うことは、多分、正しいのだろう。

現にこの男はそれを実行し続け、今順調に「ボス」への道を辿っているのだから。









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恥じ入る心
「何時如何なる時も、己を恥じ入る心を忘れてはならない」
「はい、先生」

正座をした幼いぼくが、正面の人を見上げて答える。
その時ぼくは心の底から本当に、その人を尊敬していた。
否。今だって、ぼくはあの人を尊敬している。
けど。

「アイツが何処へ逃げるか視とけ」
「・・・・三つ目の路地を、右。小さな木の扉を開ける」

ぼくの言葉を受けて部下に指示を出す男。
これで逃げた「制裁者」を確保できれば、また彼の功績となる。
力があれば、上へは上がれる。
真実弱肉強食の、裏の世界。

心の奥で「逃げて」と思うぼくが居る。
けれどぼくは先ほど彼の行き先を告げ、捕まえる手助けをしている。
なんという矛盾。
恥も外聞もない、ただ、自分の安全と自由のための、告げ口。
唾棄すべき、行為。
これをぼくは、ずっと続けてきた。

代償と呼ぶには多すぎる、大きすぎる罪は幾つも重なり、きっともう清算も償いも間に合わない。

「己を恥じ入る心を、忘れてはならない。そうすれば、最低限、自分だけは裏切ることなく生きていける」

書道の先生だった。
両親はぼくに甘く、大抵はぼくのお願いを聞いてくれて。
習いたいと行ったら、お稽古に通わせてくれた。

厳粛な、人だった。
幼いぼくの頭では全てを理解できなかったけど、その潔さは感じられた。
ぼくは、真っ直ぐな、高潔な先生の生き方が好きだった。

けど。

きっと今のぼくを見たら、先生は目を背けるだろう。
それとも。
今の、ぼくを見て。

恥を知れと言って、怒ってくれるだろうか。

見せることはできない。
先生に失望されたくないし、ぼくはぼくの罪を打ち明けられるほど強くない。
それにまだ、見せる自由もない。

携帯で部下からの報告を受け取った男が、またぼくを見る。

「隠れているみたいだな。どこに居る?」

一秒先の、未来を視る。
一秒ではそれほど動くはずがないから、隠れている場所も、視える。
ぼくは、それが彼に何をもたらすか知りながら、告げる。

「―――――カウンターの裏に」

自分を、恥じ入る、ことを。

覚えているのなら、きっと、こんなことはできない。

これはとても、恥ずべき行為。









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季節の節目
「あ・・・」

黄色い実がついた樹を見つけて、つい立ち止まる。
立ち止まれば歩いてたときは気付かなかった甘い香りが薫って、もうそんな時期かと時を想った。

秋を告げる日。
ぼくは花梨の実がなる頃、秋分の日に生を受けた。
つまり、今日は。
ぼくの、誕生日。

・・・・最後に祝ってもらったのは、何時のことだっただろうか。

自分の名前がその実と同じだけあって、ぼくは花梨の実が結構好きだ。
すべすべした、黄色い実。
そのままでは食べられないけど、甘い香りは持っていて。
栄養価は高い、果実。
昔は、必ず。
誕生日の頃には、母が花梨の砂糖漬けを作っていた。
懐かしい記憶。
遠い、記憶。

もう決して戻れない、過去。

最後になった10歳の誕生日にも、変わらずそれは出されて。
その時には売られる未来を視ていたぼくは幼心に「まだだ」とほっとしたけれど、結局売られたのは誕生日を2週間程過ぎた頃だった。
本当に、前日まで。
否。ぼくを売る瞬間ですら、いつも通りだった両親。
つい物思いに沈んでしまって、苦笑する。
ぼくは両親を恨んでいるのだろうか。
よく、わからない。

ああ、でも、そういえば。
あの日の三日後に小学校で遠足があって、ぼくはそれが楽しみで。
売られた後でそれに気付いて、行きたかったなとぼんやり思ったことを覚えてる。
行き先は、確か。

「・・・・・プラネタリウム、だった」

ああ。
行きたいな。

不意に、思う。
星はよく見上げるけれど、それとはまた、別に。
作られた夜空だけど、数え切れないほどの星を見上げるのは、きっと楽しい。

「遠足」は、もう、無理だけど。

今は、誰も、誘える人も、いないけれど。

いつか、誰かと、一緒に。

「・・・・行きたいな」

そしてぼくはその場を後にして、スーパーを渡り歩いて。
何軒目かで花梨を一つ、購入した。











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この広い世界のどこで
ぼくは自分の目で見た事のある人の未来しか視れない。
意図的でも偶然でも、直接目で見たことがなければ基本的に未来は視れない。
場所に関しては、見たことがあるだけでは駄目だ。
ぼくが居る場所の未来のみ、視れる。
それがぼくの異能。

でも、それが全てではない。

5年に一度かそれくらい。
本当に稀に、ぼくが知らない場所の、知らない人の、未来が見えることがある。

それはまったく操作できなくて、不意に浮かぶ映像。
他愛もない未来だったり悲惨なものだったり、それも様々。法則性はない。
もしかしたら、幻覚なのかもしれない。
そう思うほど、まったく見知らぬ風景が、目に映る。
それが視えたところで一体何処だかも解らないから、無用だと、マフィアは判断した。
ぼくも、そう思う。
本当に稀だし、どうにも、できない。
視える、だけ。
本当に、視えるだけだ。

この広い世界のどこでそれが起きるのか、ぼくには検討も付かない。

本当に起きるのか。
本当に、それは未来なのか。
本当に。
その場所は、この世界にあるのか。

どれもわからない。
ぼくは、何故かそれが視えるだけ。

そしてまた、それは不意に視界を過ぎった。

崖が。
崩れる、光景。

思わず、立ち上がる。
無意味な仕草をしたぼくを、何人かが奇異の目で見やった。

それは言ってみれば、ただの、白昼夢。
本当にそれが起こったか確かめようがないのだから、幻と大差ない。
けれど。
けれど、もし。

世界のどこかでそれが起こっていて、ぼくはそれを知っていたのに、放置しているとしたら?

身も知らぬ場所の光景が視えるのは本当に稀だから。
普段はあまり、思い出さない。
けれど視えてしまうと、暫く、囚われる。

あれはどこの。
あれは、いつの。
未来?

もし解っても、結局ぼくには何もできないのに。

思いは尽きない。

この、広い広い世界の、どこで。

―――――いつか、これが予知なのか幻なのかを確認出来る日が、来るといい。
そして、その時には。

ほんの少しだけでもいいから、何か、できればいい。









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電池の寿命
「あ・・・」

ぷつんと切れた光に、小さく声を零す。
電池が切れたのだと、すぐにわかった。

電池は消耗品だ。
だから、いつかは切れる。それはわかっているし、慣れている。
でも、何故か。
いつも、とても淋しい気分になる。

電池の寿命。
役に立つうちは遠慮容赦なく使われて、使えなくなると捨てられて。
そして、また新しい電池が使われる。
それはまるで。

「もう視たくない?」

鼻で笑う男の言葉を思い出す。
もうこれ以上、人を不幸にする予知をしたくないと、告げた時のことだった。
ぼくと契約を交わした男は、ぼくの首を片手で掴み、持ち上げる。
気管が圧迫されて、ひゅうと喉が鳴った。

「なぁ花梨。お前は何か勘違いしてないか?」

ぐっと、手の力は強く込められ。
反射的にその手を退けようと手が動くけど、ぼくの力如きじゃその手はびくともしない。
男は、ぼくの苦しみ方を見て、嘲笑を浮かべた。

「お前は道具だ。使えなくなるまで、黙って使われろ。意思も命もお前のもんじゃない、俺のものだ」

そこで唐突に手は離されて、ぼくはコンクリートの地面に落下する。
塞き止められていた空気が急に入り込み、咽て咳き込んだ。
生理的に涙が零れ、肩で息をする。
そのぼくを覗き込んで、彼は言った。

「使い捨てなんだよ。次そんなこと言ってみろ・・・脅しじゃなく、殺して捨てる」

そしてその夜、ぼくは自分の未来を覗き視る。
不意に過ぎった未来は、ぼくの寿命が来る日の光景。
ぼくの、力が消える、その日の。

寿命を遂げた電池を、指の腹で小さく撫でる。
有難う、と、心の中で呟いた。
その電池を。
危険物として、袋に、入れる。
ゴミ箱に。
捨てる。

いつも、淋しい、気分になる。

それはまるで、いつかのぼくの姿。










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願掛け
マフィアの男と契約した日から、ぼくは髪を伸ばした。
願掛けだった。
それで何がどうなるわけでもない、小さな願掛け。

10年間伸ばし続けた髪は、それなりの長さになって。
見たことのない「兄さん」ととても似ているらしい髪の色は、黒というより若干紺色に思える。
人の目を惹くほどに、目立った。
実際伸ばしていても邪魔なだけだったりはしたが、それでも、ぼくは髪を切ろうとはしなかった。

「・・・・・本当にいいんですか?お客様」

後ろからの声に、ふと、物思いから浮上する。
大したことを考えていたわけではないから、すぐに微笑んだ。
鏡越しに、声の主と目を合わせる。


「はい。お願いします」


しゃきん、と。
軽い涼しげな音がして、長年付き合った重みが、あっという間になくなった。

それはまるで繋がれていた鎖が切れた様に似て。

契約は成った。
あの男は、「ボス」になった。
だから約束も果たされる。

ぼくは今日から、自由だった。

願掛けは、もう要らない。


「・・・・・・・・有難う御座います」


仕事からは逃れられないけれど。

それでもこれは、確かに、ぼくの手に入れた自由だった。










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突き刺さる言葉
ぼくは断罪を受ける。





「お前がっ・・・!お前が“狂った時計”か!」

ぼくと同い年くらいだろうか。
少女はぼくを真っすぐに睨み付けて、悲痛に叫ぶ。

「お前があんな予知をするから、兄貴は―――――・・・・・!!」

この建物に銃器は持ち込めない。
持って入れるのは、ファミリーの幹部だけ。
この建物、だけは。
例外がない限り、銃を抜いてはいけない。

だから、だろうか。
少女が取り出したのは、鈍く光る銀色の。

「お前の所為で、兄貴は死んだんだっ!」

突き刺さる、言葉。

今までどれだけの未来を狂わせてきたのだろう。
今までどれだけ、誰かを不幸にしてきたのだろう。
今まで、どれだけ。

命を奪ってきたのだろう。

ぼくが視なければ。
ぼくが告げなければ。
ぼくが。



「兄貴が死んでお前が生きているなんて、オレは絶対認めないっ!」



ぼくが、いなければ。



少女はナイフを振り上げる。
振り下ろす先は正確に、ぼくの左胸。

―――――視えたのは、床に溢れる赤い、血。

けれど刄がぼくに届く、直前に。


ぱんっ、と、まるで出来の悪い玩具のような、軽い音が、した。


崩れ落ちる少女の瞳から、涙が零れ落ち。
ついさっき視た赤い床が、目の前に、出来た。

今まで少女が立っていた位置を緩慢に見れば、そこには、銃を構えた男の姿が見える。
ああ、彼は、幹部、だから。
・・・・・だから?
思考が上手く働かない。

立ち上る硝煙の匂いと広がる鉄錆の匂い。
動かなくなった少女と、近寄る靴音。
握られたままの、ナイフ。

酷く、唐突に。
今何が起きたのかを、脳が理解した。

「――――――――っ!!」

叫んだのは確かにぼくだった筈なのに、何故か、声は声にならなかった。
込み上げる吐き気。
気持ち悪い血の匂い。
動かない、動かない、人の形の、肉塊。
光の宿らない瞳は、未だぼくを真っすぐに睨み付けて。

「っ・・・、う・・・ぁ・・ぁ・・・・、あ・・・・・!っ、いやあぁあああ――――――っ!!」

もう、何を嘆けばいいのか、よくわからなかった。

『お前の所為で―――――』

脳裏に蘇るのは、そんな声。

ボクノセイデ、タクサンノヒトガシンダノニ。

どうしてぼくは、生きているのだろう。

どうしてぼくは。


それでも生きたいと、浅ましくも思ってしまうのだろう。










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スキャンダル
「一週間、こいつの未来を見続けろ」

いきなりそう言われ、テレビの画面を見せられた。
そこにはぼくでも知っている、有名映画スターが映っている。

「・・・・この人?」
「ああ。こいつの未来を見て、スキャンダルになりそうな場面を言え」
「スキャンダル・・・・?」
「ああ」

何それ。

一番最初に思ったのはそれだった。
今までで一番変な仕事だ。
同じ人物の未来を見続けるのは好きではないが、それほど見るのが恐い仕事ではなさそう、というのが正直なところ。

「・・・・映像だと、少しキツイよ」
「明日実物を見せてやる」
「・・・そう。わかった」

スキャンダル。
要は、愛人とか、借金とか、そういうものだろう。
一体何に使うのかと思わなくもないけど、聞かないほうがいいことはわかってる。
知らないほうが、いい。
知ってしまえば、視るのが嫌になる。
きっと、よくないことだ。
しかしそんなぼくの思考を見透かしたように、男は言葉を続ける。

「脅しの材料にするんだよ。「必ずわかる」なら、誘拐よりも手っ取り早いからな」
「・・・・聞いてない」

この男は。
ぼくの嫌がることをするのが得意だ。

なんでそんなに、と思うくらい、的確に。
こういうことを、する。

「・・・・・明日までは何もないってことだよね。出てってくれる?」
「これは失礼?じゃあな」
「・・・・・・・・・・・・・・」

ああ。

やはり、聞かなければ、よかった。











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帰る家
「もーいーかい」
「まーだだよー」

夕日が街を赤く染める時間、小さな公園。
住宅街の真ん中に位置するその公園には、子供たちの遊び声が響いていた。
しかし楽しい遊び時間はそろそろ終る時間で、一人、また一人と子供の数は減っている。

「花梨」

遊んでいた中の一人、少女が声に顔を上げる。
6歳程度の少女は、振り返って屈託なく笑った。
少女の名前を呼んだ女性は、走り寄った少女に手を伸ばす。
その手を繋いで、少女ははにかむ様にまた頬を緩めた。

「さ、帰りましょう。花梨」

女性は柔らかく笑い、そして――――・・・






「・・・・何時まで寝てる気だ、花梨」






目を開ける。
間近に映った男の顔に、眉を寄せた。

「別に、寝てないよ」
「何だ・・・長いこと目閉じて呆けてるから立ったまま寝てるのかと思ったぜ」
「ぼくはそんなに器用じゃないよ」
「ふん。何を呆けてたんだ?」
「・・・・・別に?」
「ふーん」

何処の国でも、子供の遊ぶ時間はそう変わらない。
夕暮れ時、サッカーをしていた少年たちが次々と仲間に手を振って離れていく。
「此処で待て」と言われてぼうっと立っていたら、そんな光景が見えて。
何となく、遠い昔のことを思い出した。
ただ、それだけ。

「もういい?」
「ああ。行くぞ」
「・・・・・はい」

もう帰れない。
あの頃は、幻想や夢の中にしかない。
帰る家、も。
帰れる家も。
何処にも、ない。

基本的に、この男と仕事に関係ない会話はしない。
ぼくにも彼にも、する気がない。
もう仕事は終ってぼくは部屋に「仕舞われる」だけだから、移動中に会話をする必要はなかった。
石畳を走る、子供の足音と高い笑い声が耳に入る。
「何時まで遊んでるの」と、そんな声まで聞こえて、少し微笑んだ。
微笑んだのを自覚して、ああ、と、思う。

ああ、ぼくは。

いつか、あれを、もう一度。

望んでいる。

今度は伸ばす側でいいから。
今度は伸ばす側が、いいけど。

いつか、また。
ぼくが仕事を続けて契約が成って、自由になってから。
そんな、いつかの未来に。

「帰ろう」と、手を繋いで。

「家」に、帰れれば、いいのに。













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本領発揮!
視界が急にブレて、見える光景が変わる。
はっ、として、上を見上げた。

建設中のビルから伸びる鉄の腕に、ぶらさがる無数の鉄骨。
遥かな高みにある、褐色の、それ。

「―――――・・・・っ!」

「逃げろ」という警告だけでは、間に合わない。
上空でぷつりと聞こえない音がして、鉄骨を釣り下げていたワイヤーが切れた。

最初はぼくの右を歩く学生。

「止まって!一歩下がって!」

進行方向に割り込んでそう叫べば、学生は気押されて素直に一歩下がる。
それを見てぼくはすぐに次の人の方へ走ったから、学生は「何だよいきなり」、と悪態をつき、気を取り直して歩き出そうとする。
その瞬間。

最初の轟音が響く。

空から降ったそれは予知通りに「さっきまで学生が居た場所」、つまりは現在の学生の目と鼻の先に突き刺さり、土煙を上げた。
そしてその頃には、ぼくは三人目の手を強引に引いていた。
四人目は、乱暴に力一杯突き飛ばす。

轟音は最初のものからほとんど間を置かずに次々と響いているけれど、振り返る余裕はない。

大丈夫。
これだけすぐの未来なら、ぼくの予知はほとんど絶対だ。

走り回るぼくの髪を掠めてまた一つ鉄骨が刺さる。
刺さり方が甘かったのかそのまま傾いて、建設中のビルの柵に当たって止まった。
これが来たと言うことは、あと、一本!

空を見上げて立ちすくむ小さな女の子に手を伸ばして、なんとか抱えて地面を転がった。

刹那、最後の轟音。

土煙は未だ止まない。

何が起こったかわからず吃驚している女の子を立たせて埃を払って、怪我がないことを確認してほっと息を吐く。
土煙が収まれば、歩道は酷い有様で。
けれど誰も大怪我はしてなくて、ぼくは安心して微笑んだ。

野次馬に囲まれて動けなくなる前に、踵を返す。

「――――、―――・・・良かった」

きっと、本当は。
ぼくの力、予知は、こんな風に、人を助けるための力なんだろう。
どこかで道を間違えなければ、誰も不幸にすることなく、この力を使えていた。

この力で人が助けられるなら、幾らでも。
脳が焼き切れるまで、予知を使っても構わないのに。

上手くいかない。

ああでも、今日は、今だけは。

この力を誇っても、許されるかもしれない。










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夏に降る雪
空から舞い落ちる白いもの。
そう言われたら何を連想するだろう。
雪?
でも今は夏だ。
それは雪ではなく。

「・・・・・・花・・・」

太い樹から舞い散る白い花弁が、絶え間なく降り注ぐ。
それが、空から降ってくるように見える。
ぼくは陶然と眺めていた白い花弁たちから目を離して、振り返って笑う。

「・・・・素敵な場所だね」

微笑めば、微笑みが帰ってくる。

ああ、それはなんて。


幸せな、光景だろう。


「―――――連れて来てくれて、ありがとう。「 」」


目を開ければ、それは黒く塗り潰されて消える、夢。

一瞬の黒の直後に、ぼくに与えられた部屋が映る。
マフィアの本部内に位置する、小さな、部屋。
扉には鍵、窓には格子。
隣には研究室、逆の隣には見張り。
施設内はそれなりに自由に歩ける。ただし、見張りつき。

ぽつりと、呟いた。

「・・・・・あれは、未来?」

本当に?
いつの?
何年後?
それとも。

「・・・・・ただの、夢?」

もうすぐ、ぼくが契約したあの男は、このマフィアのボスになる。
「ボス」に就任して約2年。裏切り者や反逆者を潰して、名実共に、正真正銘のボスに。
それはイコール、ぼくがこの部屋を出れるということ。
だから、可能では、ある。
可能ではある、未来なら。

期待しても、いいだろうか。

これからも生き続ければ、あんな日が、来るのだろうか。

何故か、涙が、一筋流れた。

ぼくは。

幸せを願って、いいの?

流れた涙は、たった一筋だけで、涙の跡だけ残して消えた。










//19歳
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奇跡の目撃者
それは奇跡のような光景だった。

降り注ぐ鉄骨。
不思議な色の瞳をした少女が、その中を泳ぐように動く。
その目は何処も見ていないようで、しかし全てを見通すように煌いて。
必要最小限の動きで歩行者の位置を動かして固定し、時には強引に押し出して。
一人の腕を引き一人の背中を一歩押し、少し離れた次の一人に走る。
遥かな高さから落下したビルの骨組みである鉄骨は、少女が最後の一人を押し倒した瞬間に、爆音のような音を立ててコンクリートに突き刺さるように到着した。
土煙が舞って、視界が不明瞭になる。
一部始終をただ眺めていた野次馬が、一拍遅い悲鳴を上げた。
爆音と悲鳴に感化されて、野次馬は一層増える。
僕は思わずぎゅっと拳を握って、彼女と通行者たちの末路を確かめるべく目を凝らした。

そして土煙が収まった、歩道には。

通行人を避けるように林立した、無骨な鉄骨の、林。

皆何が起こったかわからないという顔で、呆然と立っている。
斜めに地面に刺さっている鉄骨もあれば、横倒しになっているものもある。丸太を組み合わせたように刺さっているものもある。
なのに。

誰一人として、怪我人は居なかった。

戦慄する。
僕だけなのだろうか。気付いたのは、見ていたのは、僕だけ?

彼女が、あの、わけがわからないといってもいいような動作で、次々と通行人を動かしていかなければ、鉄骨の下敷きになった人間は絶対にいた。
それはまさに、奇跡のような、光景。

彼女はほっとしたように微笑んで、そして自分は何もしなかったかのように、立ち上がる。
誰も止める者がいないことを幸いと、そのまま、何も言わずに踵を返した。

僕は奇跡なんて信じたことはなかった。
そんなものはないと、迷信だと、思っていた。
けれど、これは。
これは、正しく――――・・・。

「奇跡って、本当にあるんだ・・・・」

この日から、僕の人生観は少し変わった。







//20歳
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歓喜の渦中
宴も酣。

宴会なんてどこの世界も変わらない。
酔っ払いの喧騒も、祝杯の酔い易さも。

今宵宴に参加しているのは、下克上が成る前から、「ボス側」だった人たち。
ぼくという「コマ」やボスの性格、能力を鑑みて、ボスに・・・・つい最近名実共に「ボス」になった彼に追従することを決めた、部下たち。
これは歓喜の声が木霊する、勝利の宴。

その騒ぎの渦中で、ぼくは一人寡黙に座っている。

ぼくに構う人は誰も居ない。
ぼくは道具で、今は宴で。
現時点で必要のない道具は、ただあるだけなら背景と化す。

ぼくが此処に買われたのは10歳の時。
もう、10年。
モノ扱いにも、背景になることにも、もう、慣れた。
彼らの喜びはぼくには関係ない。
同時に、ぼくの感情も、彼らには関係ない。

何故ぼくは此処に居るのだろう。
何度も考えたことがある。
でもそれももう、終わりだ。

あの日。
ボスとぼくが交わした契約は、果たされた。
ぼくはボスが―――彼が「ボス」になるまで彼の言を最優先に予知を行う。
その予知に対して、組織とは別に彼がぼくに報酬を払う。
その報酬は、ぼくを買う際に両親に支払われた金額―――ぼくの「借金」の、返済に充てる。
これは、ビジネスだ。
ぼくの「借金」は、彼が「ボス」になった日のあの予知で、消化し終えた。
だから、ぼくは。
明日から、此処を出ることができる。
「仕事」から逃れることはできないが、それでも。
ぼくは。
自由を手に入れた。

大勢の歓喜の渦中で、その喜びとは無関係に、ぼくは静かな歓喜に身を染めていた。






//20歳
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垣根を取り払って
ぼくはマフィアが嫌いだ。
そしてマフィアの構成員たちも、ぼくを嫌っている。
否。少し違う。彼らはぼくを嫌っているのではなくて。

「フドウ、カリン」
「・・・・・あれが」
「ふん」

ぼくを、見下している。

ぼくは道具だ。
ぼくは便利だ。
ぼくは金づるだ。
ぼくは、彼らにとって、彼らと同じ人間では、ない。
だから実は、嫌うことすら、ない。

それを知りながら、目の前の男は無意味に爽やかに笑う。
当然のように、白々しい言葉を、吐く。

「こいつは買われた身、こっちは買った側―――その辺りの垣根は取っ払って、今日は無礼講で行こう」

親しげにぼくの肩を抱き、決して笑っていない目で、楽しげに、嗤った。

「『邪魔者』が排除できたのはこいつのおかげだ。さぁ飲め、兄弟たち」

あの日。
契約を交わしたぼくとこの人は、一種の共犯者なんだろう。
それでもぼくはこの人を始めとするマフィアが嫌いだし、この人はぼくをぼくとして扱いはしない。
契約は成った。
ぼくはぼくの代金として支払われた額の仕事をし終え、この人は。

「今日から俺が「父親」だ。―――――文句があるやつは今日のうちに、な」

野望を、叶えた。

「垣根を取り払った」、「無礼講」。さっきこの人はそう言ったけれど、実際は。
ファミリー全体に下克上を知らしめる、垣根を高く厚くするための、儀式。

そして目の前の男――――「ボス」は、ぼくに囁くのだ。




「片っ端から未来を覗け。問いはシンプルだ。“裏切るのは、誰だ?”」




ぼくは。
マフィアが嫌いで暴力が嫌いで黒服も嫌いだけれど、誰よりも何よりも。


この人が、嫌いだ。









//18歳
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風鈴の音を耳にして
ちりん―――・・・。

涼しげな音に、足を止める。
売り物の風鈴が、風に煽られて幾つも幾つも音を立てた。
音は重なり、響きあい、風に流れて鬩ぎあう。
幻想的な気分になって、暫くじっとその場に足を止めていた。

「・・・お嬢さん、買って行くかね?」

お店の主人らしき初老の男性がそう声を発して、ふと我に帰る。
いきなり足を止めて風鈴を見上げていたぼくは、さぞ奇怪に映ったことだろう。
首を、振る。

「・・・・・いいえ。済みません」

風に揺れる、透明なガラス。

脆いゆえに、美しい音色を奏でる、丸い。

「―――――いえ。済みません、やっぱり下さい」

何を考えたのか、気がついたら、そう応えていた。
言ってしまってから自分を不思議に思う。が、もう否定はしなかった。


それ以来。
薄く脆いガラス製の風鈴は窓の傍に吊るされることになり、あまり帰らないぼくの部屋で、ちりんと、たまに小さく鳴いている。






//20歳
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