安 蘭 樹 の 咲 く 庭 で

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マスコット
小さな幼い女の子が、キラキラした瞳で、それを見ていた。
今子供たちの間で人気の、マスコット人形。
の、プレミアムバージョンと銘打たれた、女の子には巨大と言っても可笑しくない、それを。

「――――――・・・花梨?」

滅多に我儘も言わない子供が熱心に覗き込む様を見つけたのは、彼女の父親。
女の子はびくりと驚いて、慌てて振り返った。
なんでもないと、言う。
父親は笑って、女の子と目線を合わせた。

「かわいいね。欲しいのかな?花梨」

にこりと優しい笑みを向けられて、子供なりに必死で誤魔化そうとしていた女の子にも迷いが生じる。
恐る恐る、まるで怒られているように、申し訳なさそうに頷いた。

「そっか」
「・・・・・・うん」

こくりと頷いてしまえは現金なもので反応が気になるらしく、女の子はちらりと上目遣いに父親を見上げる。
口に出さないだけこの年頃の子供にしては偉かったが、全身で「買って」と訴えているようだった。

だが。
父親は優しく笑って、けれど「それだけ」だった。

「本当、かわいいね。じゃあ行こうか、花梨」

女の子は、一度だけ人形を振り返り、そして。

「うん」

精一杯、何事もなかったかのように、にこりと笑った。

それはとある日の、昼下がり。










//6歳
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初々しい
「あら、初々しいこと」

真新しいランドセルを背負って走る。
近所の顔見知りのおばさんが、そう言って頭を撫でてくれた。
走るぼくを見守りながら、両親が優しい顔で後ろを歩いていた。

「花梨、走ると危ないわよ?」
「転ばないようにな、花梨」

掛かる言葉も優しく、暖かい。

「だいじょうぶ!」

ぼくは根拠もなく、そう返した。

淡い記憶。

「小学校」が嬉しくて楽しくて、希望に満ち溢れていた幼い日。

もうほとんど葉桜の桜がひらひら散って、地面はまるで疎らに絨毯を引いたような有様だった。

春らしい日だった。

パステル色の、柔らかい、日だった。

ぼくはだから、春が好きだったのに。






それから少し後に放り込まれた闇色の世界で、桜は血溜りの上に不安定な波紋を描くことを知った。

花びらは皆、真っ赤に染まることを、知った。


春を嫌いにはならなかったけど。
ただもう、あの頃のように無条件に浮かれることはできない。










//6歳
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食べ物を粗末にしちゃ駄目
「鬼は、そと。福は、うち」

神社の豆まきを見て、少女はとても感動していた。
彼女には、豆が撒かれるごとに空気が変わっていくことがわかった。
宮司が文言を口にするたびに、「何か」がなくなっていくことがわかった。
凄いと思った。

帰りに大豆の入った小さな袋を貰って、少女は家路を急ぐ。
家では自分が、宮司の代わりをしようと、幼い義務感を抱いて。

「おにはーそと、ふくはうち!」

貰ってきた豆を撒く。
あまり外には飛ばなかったけど、それでも少しは効果があったように少女には思えた。
神社のように、明確にはわからなかった、けど。
それでも少女は満足だった。

帰宅した少女の母親は、散らばった大豆を見て、首を傾げる。

「・・・花梨?」

少女は手の掛からない子供だった。
悪戯も滅多にしないし、聞き分けのいい、楽な子供。

「お母さん!」
「花梨がやったの?」
「うん!」


「駄目じゃない。食べ物を粗末にしちゃ」


ぱちんと。

少女の中の小さな正義感と満足感が、弾けて消えた。

「・・・、・・・ごめんなさい」

少女は悲しげに、そう、言った。









//7歳
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カレンダー
カレンダーに一つ、丸を付ける。
約二週間先の、水曜日。
歪な赤い丸だが、少女は満足そうだった。
まだ幼い。4、5歳だろうか。紺色掛かった髪を可愛らしいおかっぱにした、少女。

「花梨?」

満足気にカレンダーを見上げる少女に気付いて、誰かがその後ろ姿に声を掛ける。
声のあとに姿を表したのは、少女と同じ髪色の、大人の男性。
男性を振り返った少女の様子から察するに、恐らく彼女の父親だろう。
少女はぱっと顔を輝かせ、振り向きざま男性の足にぽふりと抱きついた。

男性は微笑んで少女を撫でて、たった今少女が書いた赤丸を目にして首を傾げる。

何の丸だろうか。

その日は別に記念日でもなんでもないし、用事も行事も約束も覚えはない。
疑問に思いながら少女を見れば、少女はいかにも得意げに、「誉めて」というようなきらきらした瞳で彼を見上げていた。
子供のすることだ。特に意味はないのかもしれない――――――・・・そう思いつつも、彼は娘にそれを訊ねる。

「何の日かな?」

そして少女は、弾んだ声でこれに答えた。

「ままがよろこぶひっ!」

ぱちくりと、目を瞬く。
やはり子供の言うことかと、微笑ましくも苦笑した。さっぱりよくわからない。

「そうか、楽しみだね」
「うん、たのしみっ」

普通なら。
子供の悪戯。意味のない、当てずっぽうの。
それで終わってしまう話。

けれど。

二週間後の、水曜日。
応募した懸賞が偶然当たって歓声を挙げた男性の妻が、記念にカレンダーに丸をつけようと言いだして。

「あら?今日何かあったかしら?もう丸がついてるわ」

男性の顔から微笑みが、消えた。

ママが、喜ぶ、日。

偶然?
反射的に自分で答えた。
いいや、多分、違う。

気付けば今まで他にもあったと思い至る。
あれも。これも、それも!

彼は娘の眠る部屋を見やり、そして。
また、微笑みを顔に浮かべた。

「花梨が書いたんだよ」
「あら、そうなの」
「うん、どうやらあの子は匠と同じみたいだ」
「あら・・・そうなの」
「うん」

それが少女の未来が確定した日の、会話だった。












//4歳
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カーテンの向こう側
あのカーテンの向こう側に、「何か」、居る。

それはぼくを害する「何か」。
ぼくの望まない、「何か」。

何だろう。
何だろう。

恐くなって母さんの服を掴むと、母さんは訝しげにぼくを見下ろした。

「どうしたの?花梨」
「カーテンの・・・・」
「カーテン?ああ、気付いたの。大丈夫よ、花梨」
「何が居るの?」

見上げれば、母さんは笑う。
安心できるはずの笑みは、何故か恐怖を煽った。

ああまさか。
ああ、まさか。

「アレ」は今日なのか。

「母さん」
「どうしたの?花梨。今日はやけに落ち着かないのね」
「何が、居るの」
「父さんよ」
「父さんと、何」

母さんはさらりとぼくの髪を撫でる。
部屋の奥を仕切るカーテンが、窓からの風に煽られて微かに翻った。

母さんは、なんでもないことのように、言う。





「あなたの所有者になる人」





カーテンの向こう側に行ってしまえば。

もう、戻れない。









//9歳
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弱音を吐くな!
「・・・母さん」
「元気でね、花梨」
「・・・・・・うん」

慈愛に満ちた表情で、ハハは言った。
何も、罪悪感のカケラもない顔で、ぼくの手を離す。
チチは、そんなハハの肩を抱いた。

黒服に腕を強く引かれて、つい、ぼくは、振り向いた。
一縷の期待があった。
もしかしたら、追って。
手を伸ばして、くれるのでは、ないか。
もしかしたら。

――――・・・ぼくは、振り返っては、いけなかった。

見えたのは、伸ばされた手でも追い縋る両親でもなく。
ぼくよりも大事そうにお金が入ったカバンを抱いて微笑みあう、二人。
ぼくにはもう、目も向けず。
それはとても、幸せそうな。

「―――――・・・っ・・・!」

知っていたはずだ。
ぼくはこの光景を、一年前に視てていた。
変わらなかった。
変わらなかった、それだけだっ!
手放したくないと思って欲しかった。我儘は言わなかった手伝いもした勉強も。
それでも。
やっぱり、変わらなかった。
ただ、それだけ。

泣くな。
嘆くな。
弱音を、吐くな!

覚悟はきっと、できていた。

「・・・・・さよなら」

ぼくを生んで、けれど愛してはくれなかった人たち。









//9歳(もうすぐ10歳
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