安 蘭 樹 の 咲 く 庭 で

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一生懸命
「一生懸命やればそれでいいんだよ」、と。
言う人も居るが、それは嘘だ。

世界は無慈悲で冷静で。
一生懸命やったからと言って、それが何にもならないなら、塵芥よりも無価値だ。

どんなに。
どんなに、血を吐くほど、一生懸命頑張ったと、しても。

「・・・・・・それで?」

だからどうしたと、鼻で笑われる、だけ。

「余計なことをするなと、何度言わせれば気が済む?花梨」

殺されることを覚悟で、頑張って、みても。

「お前は役立つ道具だから、出来れば壊したくはない。・・・――――が」





「度が過ぎれば、どうでもよくなることもある」





何も誰も助けられずに、ただ痛みと絶望に落とされる。








//15歳
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ひとでなし
「このっ・・・ひとでなしっ・・・!」

痛い言葉。
否定できない、言葉。
胸を抉る。

「ひと」でないなら、ぼくは。
一体何だろう。

ひとの形をした悪魔だとか、化け物だとか。
言われ慣れているけれど、でも。
それでもぼくは、「ひと」なのに。

それとも。
本当に、ぼくはひとではないのだろうか。

だから。
だから、いつまでもぐずぐずと、どちらにもなりきれず、生きているのか。

ひとならば。

こんな選択をする前に、ちゃんと、死ねたのだろうか。

生きていてもいいことなんてないと、諦めることが、できたのだろうか。

「ひとでなし」、と。

言われるたびに、ぼくは欠陥を指摘されたように、心を冷やす。











//13歳
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体温計
この世の終わりのような声だった。
悲痛で悲嘆に呉れた、悲鳴のような。

「ない・・・ない。どうしましょう・・・・・!」

どうしたの?
と、ぼくは聞く。
取り乱している母は、一心不乱に引き出しを探しながら、独り言のようにぼくに答えた。

「体温計がないの・・・!」

父が熱を出して。
母が心配そうに、涙目で看病していた。
ぼくは一人でお絵描きをしていた。
父と母の仲が良いのはずっと知っていたから、そんなやりとりも然程珍しくはなくて。
ぼくも父は心配だったから、力を使った。

「体温計が見つかる未来」が視えるまで、母の未来を探る。
その未来は少しだけ先で、ぼくは立ち上がった。
未来を視たと気付かれないようにと幼心に考えながら、母の服の裾を引く。

「この前、あっちの上においたの、見たよ」

そして体温計は見つかって。
母にありがとうと撫でられて、ぼくは嬉しかった。

覚えている。
よく、覚えている、光景。



『―――――ありがとう、花梨。よかったわ』

テレビのスピーカーから、声が流れる。
何か、虚脱感のような、喪失感のような、判断のつかない感情が体を支配していた。

「面白かったか?花梨」

そのビデオは、隠し撮りだった。
ぼくの瞳が青く変わり、失せ物の位置を告げる様子が、一部始終写っていた。
ぼくの後ろで、ぼくの「持ち主」が目を細める。

「理解したか?」

それは。
ぼくを此処に売るために、両親がぼくの能力を証明しようと提出した、テープの一部だった。

理解、する。

もう、ずっと前から。

暖かい、ぼくが「家族」と無条件に信じていた、日常の時から。

――――――・・・二人はぼくを売る気だった。


感じていた「暖かさ」、なんて。

全ては。


「帰る場所なんて、端からない」


まぼろし。









//10歳
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あなたの一番怖いもの
ぼくが一番怖いもの。それは。

「――――・・・花梨」

それは、声。
この男(ひと)の、声だ。

びくりと肩が跳ねる。
振り返りたくなくて自分で自分の腕を掴んで、ぎゅっと握った。
それでも震えは納まらない。

「花梨」

振り向きたくない。
――――――振り向けない。

後ろから髪を引かれて、頭皮が悲鳴を上げた。
反射的に、顎が持ち上がる。
声の主がぼくの前に姿を表して、視界に映った。
目を、覗き込まれる。

この、目も。
怖い。
この、人は。
こわい、ひと。

「呼んだら答えろと、教えなかったか?」

恐怖が心を縛る。
歯向かえない。
逆らえない。

「っ・・・・はい・・・」

きっと永久に、慣れることは、ない。









//13歳
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目から鱗が落ちた
「――――――、え」

耳に入った声に、つい。
目を見開いて、手を止めた。

振り返る。

微笑んだその人は、優しい目のまま、はっきりと頷いた。

「・・・・・・ほんとうに?」

反射的に、嘘だ、と思う。
そんなことあるはずがないと。
だってぼくは。
たくさんの人を、蹴落として、不幸にして、生きてきたのに。
たくさんの、人を。
犠牲に生き長らえてきたのに。

「誰でも。生きている限り、誰でも。幸せになりたいと思っていいのよ。幸せになっていい。当たり前じゃない」

当たり前。
当然だと断言され、目から鱗が落ちたような気がした。
生きているかぎり、誰でも。
ぼくでも。

幸せになりたいと、思っていい?

「・・・・・・、・・・本当に。いいのかな」

今度も彼女は頷いてくれて。
胸が熱くなる。
見ている風景が歪んで、ぎゅっと目を瞑った。

「・・・ら、なら、ぼく」

彼女に倣って、微笑みを浮かべる。
暫らくぶりの微笑は、少し歪んだ。

「なら、ぼく、結婚したい、な。それで、子供を生みたい。それで、それでさ、その子を、幸せにしてあげたい」

望んでも、いいのかな。

目の前の彼女は、笑って。

本当に嬉しそうに、笑って。

「いいのよ」

そう言った。

嬉しい。
うれしい。
嬉しかった。

だから次に視えた未来に、血の気が引いた。

叫ぶ。

嫌だ。
待って。
止めて。
お願い。
お願いだから――――・・・!



戸惑う彼女の後ろに、悪夢のような、影が差した。



「困るな。俺のモノに余計なことを教えないでくれないか」



それが、初めてぼくを助けようとしてくれたた人の、記憶。










//12歳
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人の夢は儚いの?
夢には力があると、思っていたことがあった。
人は強く、夢を武器に戦える、と。
思っていたことが、あった。

それは幻想だと、思い知ったけれど。

人の夢、と書いて、「はかない」と読む。
触れれば壊れてしまう。
乱暴に扱えば、すぐに。
ガラスよりも脆い、それ。

壊すのは簡単だと、教えられた。



「残念だったな」



笑うことが出来るのは、一人だけ。

ああ今日も、此処では夢の壊れる音がする。









//14歳
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暖かいところに行きたい・・・
此処は寒くて、冷たくて。
暗い、場所。

それはまるで地の底のような。
それはまるで、太陽の光も届かない空の果てのような。
温度のない、ところ。

地から生えた鎖に繋がれたぼくは、逃げる術もなく。
そしてまた、逃げる場所もない。

開いているだけで何も見ていないぼくの視界に、この場所の「主」が、ぼんやりと映る。
彼は此処の支配者で。
ぼくは彼の道具。
やがて「主」が、何かを言った。
音が耳を滑る。
わからない。
今、なんて、言った?

もう一度、「主」は口を動かす。
声は聞こえているはずなのに、耳に脳に体に染み込んでいるはずなのに、何を言われているのかわからない。
聞き直そうにも喉は張りつき、唇は鉛のように重い。
ぼくの虚ろな反応に彼は笑う。
満足気に、見えた。
そしてぴくりとも動けないぼくの耳元に唇を寄せて、もう一度、何かを言った。

前の二回と同じ言葉。
それはわかるのに、何を言っているのかは全然わからなかった。
けれど識る。
体のなかの何かが、告げた。

それは決して消えない言葉。

「主」が、ぼくから離れる。
次の言葉は、ちゃんと認識できた。
認識できたからと言って、返事ができたわけではなかったけれど。

「――――――――・・・・・いい子だ、花梨」

麻痺していた色々なものが、溶けだしていく感覚。
真っ先に蘇るのは、恐怖と苦痛。

涙が一筋だけ、目から零れた。

「忘れるな。お前は何処へも逃げられない」

暖かいところに行きたい、と。
思った。

理性はいとも簡単に、自分の思考を嘲笑する。




そんなところ、お前には存在しないのに。










//13歳
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白く埋めつくす
そこは「カジュ」と言う名の、国境近くの小さな村だった。
一面の白に煉瓦の壁の家。
大きな建物と言えば教会一軒くらいの、こじんまりとした集落。

さくりと雪を踏んで丘からその村を見下ろして、思わず目を逸らした。
それは数日前、視た景色。

ああ。
着いて、しまった。

隣で神父の格好をしたぼくの「持ち主」が、唇を持ち上げる。

「間違いないな?」

ぼくは逸らした目をもう一度村に向け、教会をじっと見て。
首を振りたい衝動に駆られる。
頷きたく、なかった。
此処は未来の分岐点。

「花梨」

答えを促す声。
鋭い眼差し。
びくりと、肩が震えた。

そしてぼくは。
血が出るほど強く手を握って、ゆっくりと、頷いた。
・・・・・・頷いて、しまった。

数日前に命じられて未来を視た男は、これから此処に来る。
ぼくらと同じく不法入国をして、勝手に作った秘密の地下通路から教会へ。
・・・・・撃たれた足を、引き摺りながら。
この村は彼の避難所だった。

そして彼はまず、何も知らずに教会に住んでいる、神父さんを―――――・・・


・・・・・・けれどぼくが未来を告げたから、未来は変わった。
彼は。
これから入れ替わるぼくの隣の「神父」に、・・・・・・殺される。
彼にしてみれば、返り討ちに会う形だろうか。
そして本物の神父さんは。


最初の犠牲者に、なる。


「お前は此処に居ろ。・・・ディオ」
「はい。持ち物の管理は私にお任せを」
「任せる」

つい、反射的に行かせたくないと体が動く。
雪の影響もなく滑らかに動く「神父」の服の裾を掴もうとした腕は、背後に控えた男――――「ディオ」に取られて背中に回され拘束される。

「っ――――――!」

関節が悲鳴をあげた。

片手であっさりとぼくの動きを封じた「ディオ」は余った片手で銃を抜く。
冷たい感触が首の裏に当たって、ぼくは声を飲み込んだ。

「イツキの邪魔をするな」

低く冷たい、小さな声。
けれどそれで、十分すぎるほど十分だった。

でも。
だって、どうして。
どうして止めないでいられる?

白い雪に被さって視える色彩。
静かな今では想像も出来ない、音。
ぼくにはそれがわかるのに!
ぼくが。
ぼくの言葉が、それを引き起こしたのに!

何かできないのかと焦燥を浮かべたぼくに、ふと、小さな笑い声が聞こえる。
銃口はそのままに、腕だけが離された。
ぼくは知っている。これは。

蔑む、視線。

「今更」

心臓に太い杭を打ち込まれたように、衝撃が駆け抜けた。
今更。
今更、何を言うのか。
「ディオ」は、そう言ったのだ。

言葉がぼくを深く抉る。

それは聞きたくなかった事実で、だからたった一言で感情はずたずたに引き裂かれた。

いまさら。
もう、遅い――――――・・・・・

お前のそれは偽善だと。
此処であがくことが何になる、と。
彼は嘲笑った。
そしてそれは、その通りなのだ。

たーんっ、と。
長く響いた猟銃の音が雪に溶ける。
それが惨劇の始まり。
つい数分前に視た画が、聴いた音が、現実になる。

神父服のぼくの「持ち主」が戻ってきて、「ディオ」は銃を下げる。
それから彼に一礼して、白い斜面を下りていった。
ぼくは。
何もできない。
「止めたい」と思うことすら、烏滸がましい。
自ら、引き起こしておいて、今更。
何ができると言うのだろう。

「生存者は?五分後、動いてる人間は居るか?」

視界に映ったのは、雪の降る中をよろけながら必死に進み穴を掘る、一人の少女。
ぼくは目を閉じて、そして。

「いない」と、答えた。

惨劇が終わり。
再び静かになった村に雪が降り積もる。
雪は、まるで何事もなかったかのように、村を白く埋めつくした。



そして消えない罪がまたひとつ。









//15歳

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薄氷の上を歩くように
ぼくの命はぼくの物ではない。
生かすも、殺すも。
全ては「彼」の、声一つ。

「花梨」

この人に名前を呼ばれるのが、嫌だ。
ぼくを呼ぶのは使うため。
出される命令は、どれも恐ろしい。
けれどぼくにはその声に振り向かないという選択肢は、ない。

「・・・・・はい」

顔を見上げる。
嘲笑を刻んだ唇を目にした辺りで、視線を逸らした。
目は。
見たくない。
冷えた暗い瞳は、絶望を呼起こすから。
でも、逃れられるはずがない。
顎を取られて、無理やり目を覗きこまれた。
怖い。
この人の目は、ぼくの世界を黒く塗り潰す。

試される。
ぼくの心を。
ぼくの力を。
ぼくという、存在を。
まだぼくを、生かしておく意味があるか、どうか。

「三日前、見せた男を覚えているか」
「・・・・覚えてる」
「そいつが今日、夕飯で何番目の席に座るか視ろ」

それは薄氷の上を歩くような、行為。

「・・・・・・、・・・・さん、番目」

顎から手が離される。
同時にもう用はないと、視線も外された。

もし。
この予知が、外れたら。

ぼくの足元の氷は砕け散る。

延々と。
ぼくは果てのない、薄い氷の道を往く。









//14歳
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雪だるまを並べ
こんな田舎の山奥の小さな村なんて、あの悪魔にはどうにでもできるものだった。
山の上だから雪が深くて、冬は隣町に行くことすらできない、陸の孤島。
あの悪魔にとっては、好都合な。
私たちは、村の人間は誰も何も知らなかったのに。
この村に何かが隠されてるとか、誰かが逃げてきていたとか。そんなことは、何も。
田舎だから村人は皆顔見知りで、親戚みたいなもので。
朗らかに明るく、日々を普通に過ごしていただけなのに。

あの悪魔は、そんなことは微塵も関係なく、この村を踏みにじった。
黒い髪、黒い目、黒い服。
青い黒髪のバケモノを連れた、悪魔が!

銃声。
悲鳴。
炎の色。
血の色。

ついさっきまで無縁だったものが、瞬く間に増えていき。
阿鼻叫喚を、この目で見た。

どうしてこんなことに・・・・・!!

その言葉だけが、空しく思考を埋め尽くす。

あの男は、悪魔だった。
この村は、悪魔に気に入られてしまったのだ。

何処へ行っても死体と銃弾が転がっている。
誰を訪ねても、もう息をしていない!
いつも降る雪も、まるで悪魔の味方のように思えた。
雪に足を取られて、何度も転ぶ。
此処も駄目。
此処も、だめ。
此処も。

ああどうか。
どうかどうかどうか、誰か・・・っ!!


一人でも、いいからっ!!


けれど願いは空しく、悪魔はそれほど優しくはなかった。

悪魔とバケモノの声が、聞こえる。

「生存者は?五分後、動いてる人間は居るか?」
「・・・・・・」
「花梨。さっさと答えろ。『仕事』だ」
「・・・・・・・・・いない・・・・」

バケモノは嘘をついたと思った。でもそれがどういうことかまでは、思考が働かない。
だって、私は生きてるのに。
それだけを、思う。
いないわけ、ないのに。

その所為で死ねなかったのだと悟ったのは、全てが終ってから。

優しさ?
情け?

―――――フザケルナ。そう思う。

悪魔の癖に。
バケモノの癖に!

思ったのは、さっきも言った通り、全てが終ったあとだったけど。

悪魔とバケモノが去って、その手先が教会を爆破して、何かを回収して。
私は感覚のなくなった手足を無理やり動かして、皆を。
・・・・・・動かなくなった、皆を、小さな村の、小さな広場に、引き摺って。
爪がはがれるのも無視して、穴を掘った。
一心不乱に。
何をしているのかも考えず、ただ、動いた。
気にしなかった。
考えなかった。
考えたら、もう、何もできなくなると、わかっていた。

穴を掘って、埋めて。
また穴を掘って、埋めた。
何度も何度も何度も、機械的にそれを繰り返した。
雪はいつもと変わらず、しんしんと降り続いて居た。
蹂躙された足跡が雪に覆われていく。
毒々しい赤が、白に隠されていく。
瓦礫も捨てられた銃も、化粧を施されたように、白を被って。
全部埋め終えてから、次に、雪だるまを作った。
板なんて探せなかったから。
石なんて、雪に埋もれてよくわからなかったから。

並べる。
並べる、並べる、並べる。
一つ作って、また一つ作って、もう一つ作って。
笑っていたことを思い出しながら。
話していた人を思い出しながら。
代わりのように。
空っぽの村に、誰かを住まわせるように。
でも雪だるまは、喋らないけど。

涙は流した端から凍っていった。









「・・・・私の村は悪魔に滅ぼされたの」
「悪魔・・・?」
「そう。黒髪で黒い目の、悪魔」

あの悪魔のことは、今でも忘れていない。
あのバケモノの、声も。

「ねぇあなた、知らない?」

私は並んだ雪だるまに、復讐を、誓った。









//15歳
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舞い散る羽
ふと、顔が綻んだ。
チチチ、と、可愛らしい声が、する。

ぼくに用意された部屋には、窓はない。
あるのは廊下。
その廊下の高い位置にある窓から、小さな鳥が顔を出していた。
種類はしらない。
尾の長い、白黒の、鳥。

「こんにちは」

そう言って手を伸ばせば、その指に止まる。
いつからか窓で歌っているのに気付いてから少しずつぼくに慣れてくれた小鳥は、とても可愛かった。
ぼくは小鳥に癒された。

少し羨ましかったのかもしれない。
飛んでいける鳥。
ぼくは窓には絶対に手が届かなかったし、翼もない。
それに、飛んでいける場所も、ない。

「・・・・鳥さんは、いいね」

つい、漏らした。
それが間違い。

「ふうん?」

監視されていることは知っていた。
この建物で、ぼくの行動がわからない場所などないことは、理解していた。
最初は視線を感じるようで苦しかったが、もう4年――――人間、どんな環境にも慣れることができるのだと、実感した。
知っていたのに。
甘かったとしか、言いようがない。

声を聞いた瞬間、ぼくは乱暴に手を挙げる。
驚いた小鳥が、ぱたぱたと羽ばたいた。
叫ぶ。

「――――行ってっ!」

折角ぼくに慣れてくれた小鳥が、裏切られたように窓へ向かって。
けれどそれは、遅かった。

発砲された弾丸とは、比べようもないほどに。

チキィ、と。
普段より甲高い声で、小鳥が鳴いて。

羽が、散った。

ぼとりと。
小さな影が、垂直に落下する。

「そういう思考を持つなと、何度も言ったはずだが?」

羽だけが、ひらひらと、空気に舞い散る。
白い羽と黒い羽、幾つもの、羽。
舞い散る羽は窓からの光に透けて、綺麗にも、見えた。

ぼくは声の主には反応を返さずに、落下した小さな影に走り寄る。
そっと掬い上げたそれは、とても軽くて。
ああ、と、意味をなさない嘆きが、漏れた。
御免ねと、小さく呟く。
ぼくが甘かった。
甘すぎるほど、浅はかだった。

逃げられないことを知れ。
逃げようと思うな。
逃げたいと、期待することさえ無駄だ。
それは何度も何度も、それこそ身体に刻まれるほど、言われた言葉だったのに。

望んではいけなかった。
羨んでは、いけなかった。
少なくともそれを、口に出すべきではなかった。

羽の最後の一枚が、床に落ちる。
同時にぼくの頬から、涙が滑り落ちた。

「来い。わかるまで何度でも、教えてやる」

――――ぼくは、小鳥のお墓すら、作ってあげることはできなかった。









//14歳
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土の下
夢を見た。
ぼくは丸い月の下、冷たい土に座って必死に土を掘っていた。
爪は剥がれ、土に汚れた指からは血が滲んでいた。
それでもぼくは泣きながら、ずっと、幾つも幾つも穴を掘った。

目が覚めたら、頬に幾つも涙の後が残っていた。

あれはどこだろう。
目覚めの、朦朧とした意識で考える。
冷たい光景だった。
木も何も生えていない、荒涼とした、風景。
生々しい土の感覚が、手に残っているような気さえ、する。

ぼくは何かを言っていたような気もする。
けれどただただ泣いていただけのような気もする。

土の下。
埋まっている、可能性が、あるもの。

何もない風景にたった一つ立っていた大きな十字架が、脳裏に鮮やかに焼きついていた。

埋めようとしていたのか。
掘り出そうとしていたのか。

あれはただの夢だろうか。
それとも未来の光景だろうか。
それとも、ぼくの中にある、風景なのだろうか。

穴を掘る。
穴を、掘る。
幾つも幾つも、穴を。
何かに憑かれたように、ただただ、土を掘る。

それはきっと。

「・・・・起きろ。仕事だ」

ベッドの上でぼくが涙を流していても、彼は何も言わない。
言うわけがない。
生きていれば、否、予知ができれば、それ以外に興味はない。
ぼくは黙って起き上がって、ただこくりと頷いた。

頭の中に、あの風景は消えない。
掘った土の、冷たい感触も。

きっとあの、土の下には。

「行くぞ」
「・・・・はい」

ぼくが今まで犠牲にしてきた人たちの、屍が埋められているのだろう。









//15歳
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彼が「王」なら。
裏の世界に存在する彼の組織が「国」で。
そして此処が、「都」。

ぺたぺたと、裸足で薄暗い廊下を歩く。
ぼくが一日の大半を過ごす部屋のあるこのフロアは、あまり人の出入りがない。
此処は特別区。ぼくは機密。
十字架か錘でしかないその肩書きによって、ぼくはこの都で守られている。
此処は恐ろしい場所。
秩序と平穏をどこかへ置いてきた、混沌の都。
法も常識も此処では通用しない。
ただ浸透されているのは、彼の意思。
完全なる、絶対王政。

「俺の命令に従えないモノは、要らない」

キッパリと、はっきりと。
彼は自分が「ボス」になったその瞬間に、言った。

「無能なモノも要らない。要るのは使えるモノだけだ」

そして同時に、告げる。

どんなに気持ち悪くても。
どんなに目障りに思っても。
どんなに、痛めつけたく思っても。

ぼくの能力を失うかもしれない可能性のあることは、するなと。

「コイツは今一番使える道具だ。復讐でも気晴らしでも、コイツに何かしたいなら―――――」

ぽんと、ぼくの頭に、手を置いて。

笑ってた。

「コイツ以上に使えるモノになれ」

ぼくはその言葉によりこの都で守られている。
「教育」により傷つけられることはあっても、身勝手な暴行は受けたりしない。
大事にする必要はないが。
壊しては意味が無い。

殺したいと正面から言われても。
死にたいのかと脅されても。

ぼくは、それができないことを、知っている。

だから無防備に裸足で歩いていられる。
ぼくの世界はこの廊下と、与えられた部屋だけ。
廊下からは、月が、見えるのだ。

小さく四角く切り取られた黒い空に浮かぶ、月。

部屋からは出てもいいと言われている。
けれど自分の部屋以外入るなとも、言われている。
階段やエレベーターを一人で使うことはできない。

ぺたぺたと歩いていた足を、止める。

窓を、見上げた。

この都は眠らない。
夜はこれから。
動きが増えるのも、これから。
闇が蠢く時間。

こんなにたくさんの、人が居るのに。

月を見上げるのは、ぼく一人。

御免ねと、そんなことを、思った。

折角、綺麗に光っているのにね。









//15歳
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それが親心
子供の幸せを願わない親は居ない。
そんな言葉を見るたびに、思うことがある。

――――――――本当に?

「それが親心というものです」
「そうですよね」

確か話していたのはテレビの中の、有名なコメンテーター。
相槌を打っていたのは、アナウンサーだっただろうか。
よく覚えていないが、とにかく、そんな会話を耳にして。

“親心”。
ぼくは「それ」がよくわからない。
ぼくは「それ」を、知らない。

あの人たちの中にも、そんな心はあったのだろうか。

いつも笑っていた母。
優しい父。
けれどぼくも兄さんも、簡単にお金に変えた人たち。

幻聴が、聞こえる。

歌うような声で。
優しい穏やかな声で。
覚えている、好きだった声で。





「お母さんはね、花梨が大好きよ」
「もちろん、父さんもそうだ」

「だって、あなたは高く売れるんだもの――――――・・・」




首を振る。
違う。あの人たちは、そんなに酷い人たちではなかった。
ただ、普通ではなかっただけで。
ただ、普通とは違っただけで。
ただ。
それが「酷い」と、理解できなかっただけで。

計算尽くではない。
本当に純粋に、ただ、ぼくを売ればお金が手に入ると気付いてしまっただけ。

「大好きよ、花梨」

それは偽りのない本心。

「さようなら、花梨」

これも偽りのない言葉。

「「元気でね」」

これすらも。
紛れもない、真剣なエール。

二人はぼくの幸せを願っていた。
でもぼくを幸せにしてくれる気はなかった。
二人はぼくを好きだった。
でもそれよりも、お金の方が好きだった。

ねぇ。

おやごころ、って、なんですか?









//14歳
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素振り
優しい素振りをしたって、あたしは知ってるんだ。
アレは、『時計』は、悪魔だ。
心を痛めている素振りを見せたって、あたしは信じない。
悪魔はきっと、内心犠牲者を嘲っているに違いない。
簡単に自分の言葉を信じる、このファミリーを笑っているに違いない。

「――――御免なさい。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」

泣いていたって、何とも思わない。
どうせ嘘泣きに決まってる。

「ごめんなさい・・・・・っ!」

こんな声に宿る悲痛な色なんて、装飾で。

「ぼくの、せいで・・・・、・・・・!!」

御免なさい、と。
何度も何度も泣きながら言う子供。
小さな身体に罪の意識と自己嫌悪を詰め込んで、壊れそうになっている、子供。

そんな姿、なんて。
偽りに、決まって。

「――――――いきたい、なんて」

死体の前で、儚く散った命の悔恨を引き受けようとするように、搾り出す、声だって。

嘘に。

「生きたいなんて、思って、ごめん、なさっ・・・!ごめんなさいっ・・・・!!」

―――――――――決まって、いるのに。

寸分違わず頭部を狙っていた銃を下ろす。
はらはらと涙を流し続けていた子供が、虚ろな目でこちらを見やった。
深淵を覗いたような、暗い昏い、悲哀を映した、瞳を。
あたしに向ける。

また涙が一筋、その瞳から零れ落ちた。

「・・・、・・・どうして、うたない、の」

もう。
こんなの、いやなのに。

小さく微かな声は、正真正銘、絶望に彩られた、空虚なもので。
解ってしまう。
否、本当は最初から、解っていた。
許しを請う声も、死者を惜しむ涙も、胸を焦がす後悔も。
この子供は本当に、感じているのだろうと。
素振りでも、偽りでも、なく。

本当に、絶望しているの、だと。

「・・・・・・・・・・・っ・・・・!!!」

銃口を向けていた相手の小さな手を取って、反射的にドアへ向かおうとする。
理屈じゃない。
憎い『時計』。
悪魔。
でも、でも、でも。



泣いている、子供だ。



呆然としていた子供が、驚愕に目を見開いて。





「だめっ・・・・・!」





ぱんっ、と、笑えるような音が、最期。
泣き声は止まず、更なる悲痛な絶叫が空気を裂いた。









//12歳

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冷たい
ぼくはその日、生きているということはとても温かいということなのだと、実感した。

血の通った手も、腕も、頬も。
触れればほっと息が漏れるくらい、温かい。
それが当然だと思っていた。
それ以外の温度なんて、知らなかったから。

そっと、もう一度、白い滑らかな頬に触れる。

目を、伏せた。

悲しく、なる。
けれど、涙は出ない。
現実が、酷く遠かった。


「――――――――・・・・つめたい・・・・」


どうしてだろう?
答えは簡単だ。

彼は、死んでしまったから。

もう生きて、いないから。

死ぬって何だろう。
生きているって、何。
動くこと?
話すこと?
笑うこと?

どれも当たりで、どれもハズレ。

死ぬって、冷たくなること。
生きているって、温かいこと。

ひやりとした感覚が指先から身体の芯まで伝わって、ぱっと手を頬から離した。

ああ。
ああ、ああ、ああ。

そうか。

この人は、死んでしまったのだ。


―――――――――ぼくの所為で。


逃げようと。
ぼくに言った、人。



「―――――――――・・・っ!!」



突然現実が戻ってきて、ぼくは悲鳴のような慟哭をあげる。
そして思考は暗転した。

ああ。

ああ、ああ、ああ、ああ。









優しさを与えてくれたのに、ぼくは悲劇しか返せない。









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人は悩んで大きくなるの
遠い昔、言われたことがある。
確かあれは、小学校の先生だった。

「悩み事?」

友達の少ないぼくを、何かと気遣ってくれた若い先生。
義務だったのか同情だったのか、それはよくわからないけど。
ぼくはその先生が好きだった。
・・・・あの頃ぼくに、嫌いな人なんていなかったけど。

それはぼくが売られる未来を視た頃。
授業の時間も休み時間も、そのこと以外考えられなかった頃。

頷くぼくに、先生は「そっか」と頷いて、隣に座って。
微笑んで、言ったのだ。

「悩むのは悪いことじゃないわ。人は悩んで大きくなるの」

答えが出ない悩みでも。
それは有意義なのだろうか。
悩めば悩むだけ、神経は磨り減り心は傷つくことでも。
悩んでも、悩んでも。
誰かを傷つける答えしか、見つからない悩みでも。

それは、いいこと?

取捨択一。
ぼくは選んだ。

「――――その、人が」

近い未来入ってはいけない場所に入る、二人の人。
一人の未来(さき)には待っている人が居て。
一人の未来(さき)には、家族はもう誰も居なかった。

誰もいないとは。
ぼくには、告げられない。

だから。

悩んで悩んで悩んで、そして。

ぼく、は。


決める。




「あの部屋に入ろうとする、人」




なんて、傲慢なんだろう。
ぼくにどんな権利があるというのか。
死ぬのが恐い、自由になりたいと、それだけで。
誰かを犠牲にするのを選ぶとは。

――――――御免なさい。

御免なさい、ごめんなさい。

ごめんなさい。



ねぇ、先生。

これでもあなたは、悩むのはいいことだと、言えますか。









//14歳
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疑似家族
「お若いお父さんですね?」
「若造りなだけで、実際はそうでも」
「あら、そうなんですか。済みません失礼なことを」
「いえ、よく言われます」

おめかしした小学生の娘(ぼく)を連れ、パーティー会場の奥さま方と如才なくにこやかに会話を交わす男。
目的のためには手段を選ばない、冷たい目の。
ぼくの、今日の持ち主。
親子を演じて来いと、言われた、人。

「ほら、花梨。ご挨拶は?」

何も言う必要はない。
お前はただ、少し後ろに立っていればいい――――・・・。

それがこの会場に入る前の、男の言葉。

向かい合った瞳が告げる。
言った通りにしろと。
言葉よりも明確に、ぼくに命じる。
言われた通りに少し後ろに立ち位置を変えれば、ぽんと腕が降ってきた。
頭を、撫でられる。
背筋が凍って、恐怖と緊張で汗が背中を伝う。
この手は。

怖い、手。

振り払わなかったのはただ、そんな余裕もなかっただけ。

「済みません、ちょっと人見知りで。こら、花梨。駄目だろ?」

こわい。
こわいこわいこわいこわい。

この手は、昨日、ぼくに。
「教育」を施した、手。
演技で優しく撫でられて、作り物の笑顔を向けられて。
それでも、身体を支配するのは圧倒的な恐怖。

やめてはなしていやだ。

この手をっ・・・・!

「ゃ・・・・・・」

つい我慢できずに声を漏らしたぼくに、男は向き直る。
ぼくだけに見える瞳を冷ややかに、やはり声には出さず命令した。

――――――黙れ。

ぴたりと、声は喉の奥に張り付いた。

「親子で仲がいいんですね」と。
表面上は優しい「パパ」を演じる男に、笑顔を向ける人たち。
手近に「子供」が居なかったから、ただそれだけで連れて来られたぼくにも彼女たちは笑みを向ける。

「やっぱり家族は仲がいいのが一番ですわね」

ああ、誰も。

本当のことなど、欠片ほども見てはいない。









//10歳
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大きな南瓜
かぼちゃと蝙蝠が、住宅街に溢れていた。
見知らぬ人の家の玄関先の大きなかぼちゃと目が合ったような気がして、ちょっと笑う。
日本でも見たことがある、コミカルな顔のかぼちゃ。蝙蝠も、実物より簡単なシルエット。
駆けていく子供たちは、見事に仮装中。
これは日本では見られなかった光景。初めて見るそれに、ぼくは目を瞬いた。

ハロウィン。

言葉だけが、頭に浮かんだ。
風のって聞こえて来たのは、子供たちの楽しそうな声。

こんな長閑な、普通の住宅街に、何の用があるのだろう――――・・・。

そんなことを思って、隣をちらりと見上げた。
ぼくが外に出る用事なんて、「仕事」しか有り得ない。わかっているけど、どうしてこんな所に連れて来られたのかが謎だった。
ぼくの視線に気付いても、男はぼくを見もしない。
ぼくも出来ればこの人と話はしたくないので、口は開かなかった。
どうせ。
嫌でも、いずれ、わかる。

近くの家から出てきた、ぼくと同じくらいの年恰好の子供たちが、ぼくたちの隣を通り過ぎていく。
大半は見知らぬ「オトナ」とぼくをちょっと見るくらいで無視して通りすぎたけど、一人。
一人だけ、ぼくより年下の、小さな女の子が、男を見上げて無邪気に笑った。
舌っ足らずに、覚えたてなのだろう、少し得意げに、言葉を紡ぐ。

「とりっく、おあ、とりーと!」

その瞬間視えた光景に、いけないと、身体が動いた。

「っ・・・・だめっ・・・!」

女の子を突き飛ばして、今まで女の子が居た位置に滑り込む。
一瞬後に襲うのは、衝撃と――――そして、鈍く重い、痛み。
軽く身体が浮いて、どさりと石畳の地面に落ちた。
「視ていた」から、蹴られたのだと、わかる。
そうでなければ、一体何が襲ったのか、きっとわからなかった。
女の子が泣き出す声と、男の舌打ちが、同時に耳に届く。
男が、ぼくに近寄って。
ぐいと、無造作に横たわったぼくの髪を掴んで顔を上げさせた。
見えた顔は、明らかに、不機嫌。

痛い。

そして。


「何をしてる?」


――――――――――怖い。


「俺が許可したこと以外するな。命令だけを実行しろ――――何度教えればわかる?」

びくりと、無意識に、身体が揺れた。
視界が二分され、男の顔を見ているのと同時に、未来を視る。
意識してのことではない。勝手に視える、予知。
少し先に起こる、ぼくの、危機。
本能のように、勝手に、予知が教えてくれる。
ぼくの意思とは、無関係に。
ぎゅっと目を瞑っても、予知の画は消えない。
要らない。
視たくない。
知りたく、ない。

――――――――どうやっても避けることができない、危険、なんて。


「―――――・・・立て」

髪が手放されて、男が立ち上がる。
震える身体を叱咤して、何とか言われた通りに立ち上がった。
泣いていた女の子は、何時の間にか誰かに連れられて行ったようで、視界の端に映るだけ。
よかったと、思う。
―――――よかったと、思えて、よかった。

「仕事が先だ」

怒って、居るのだろう。
わざわざそんなことを言うのは、ぼくに対してではなく、自分に対しての。
「教育」よりも、「仕事」が、先。
先なだけで、後のものがなくなるわけではない。
未来は、変わらない。
「仕事」の未来(さき)の、「危険」。
あの建物に戻ったら、ぼくは。
強制的に、「危険」と、出会う。

ぼくは道具。
壊してはいけないけれど。


壊れなければ、それで、いい。


男はもう何も言わずに、元の速度で歩き出す。
痛む身体や怯える心を押さえつけて、ぼくも後に続いた。
あんなに聞こえていた楽しそうな声は、もう聞こえない。
遠い、日常。


最初から最後まで、逃げもせず全てを見ていたのは。
ただ一つ、玄関先の大きなかぼちゃ、だけ。









//11歳
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自己制約
ぼくは出来るだけ、自分の未来は視ないようにしている。
少なくとも、自分の意思では視ないように。
未来はわかっていてはいけないものだと思うから。
本来なら知らないものだと、思うから。

それはただの自己制約で。
破っても誰も怒らないし、必要を感じれば破ってしまうこともある。

ただそれでも、必要であっても、本当はやはり視たくはない。
知りたくない。
自分のこの先。
未来の道。
ぼくが、どう、なるか。

この制約は、ただ。
知ることが恐いから、逃げるための、言い訳。

恐いのだ。
恐い。
明日は、明後日は、明々後日は。
一年後は、二年後は、五年後は?

ぼくは、自由に、なれるのだろうか。
もしかしたら、一生。
ずっと、このまま、この建物の中で――――・・・。


それはとても有り得ること。
この裏の世界では、命の価値はとても軽い。
生と死は、紙一枚を隔てたくらいにしか、違わない。

絶望を知るのは、嫌だ。
それはとても、怖い、こと。

もし自由になれても、きっと違う恐怖が生まれる。
常に消えることのない、不安。
視たくない。

だからきっと、自己制約はずっと続く。









//14歳
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どんな病も治せる薬
ヒトとは利用するものだ。

「―――――死ぬ人を、探せ?」
「ああ。耳は付いてるんだろう?二度は言わせるな」
「何をするつもり?」
「ちょっとした慈善事業だよ。聞いてどうする?どうせお前がやることは変わらない」

コレは今現在で、尤も使い勝手のいい道具。
連れて来られた病院で不審そうに俺を見て、けれど「仕事だ」の一言で動くモノ。
嘲笑は、いつも尽きない。
ただ最近は、少しイラつく。
いつも通りの気色悪い的中率。それはいい。
「仕事」と言わなければ動かない効率の悪さが、イラつきの原因だった。
もういい加減、悟れよと、思う。
躊躇いも拒否も逡巡も、どうせ意味はないのだ。
手間掛けさせずに、さっさとやればいい。
逃げ場はない、反抗は出来ないと、知っているのに無為に足掻く。鬱陶しい。
少しずつ調教してはいるが、いい加減それも面倒になってきた。
暫く焦点の合わない目で未来を見ていた道具が、視線を俺に固定して口を開く。

「・・・、・・・あの人とあの人と、こっちの人。それから、あの子」

示された4人の病人。
ああご愁傷様と、そんな感想を抱きながら口の端を持ち上げた。

――――まずは、ガキからか。

交渉相手はもちろん親。
少し周りを見れば母親が見つかったので、使い終えた道具をその場に置いて近寄っていく。
逃げるなとは、言わない。
それこそアレを買ってから今までに掛けて、「逃げられない」と調教してある。

「・・・あの、済みません。失礼ですが、あの子のお母さんですか?」

表情は「哀れみ」。
知らない人間に警戒する母親に、数秒「逡巡」を見せ次に「真摯」な目を向ける。
この程度の偽装で少しは警戒が薄れるのだから、本当に笑いが止まらない。

「あの子、あまり長くありませんね?実は私も昔重い病で、それを思い出して」
「っ・・・。そう、ですか。あの、ご用件は」
「あの子を助けたいと、思いました」
「・・・・・・冷やかしなら、帰ってください」
「いいえ、違います。私も重い病だったと言いましたよね。一度は死に掛けたくらいだったんです。でも、今は健康です」
「・・・・・・・・・・・おめでとう御座います」
「どうしてだと思います?」
「・・・・あの」
「実は私、“どんな病も治せる薬”、持ってるんです」
「!」

藁にも縋るとはこのことだろう。
愚かしいことだ。
そんなにガキを大切にしても、何の得もないのに。

「信じられないかもしれませんが・・・騙されたと思って、使ってあげてください」
「・・・下さるんですか?」
「ええ。ああただ、一応秘密なもので、その旨をサインして欲しいんですが」
「・・・・・・・・・・・それだけで、いいんですか」
「私があの子を助けたいだけですから」

俺が欲しいのはそのサイン。
なくてもどうとでもなるが、あれば格段に便利な証書。

「真摯」と「哀れみ」と下手の態度に、「それくらい」と安易に手を出す。
本当に、どいつもこいつも面白いくらい、いい反応だ。

「―――――有難う御座います。助かりました」

さぁコレで、あの死体は俺の物。

ああ、まだ生きてたか。

「早く治してあげてくださいね」なんて言い残してその場を去る。
もちろん、置いておいた道具はちゃんと回収した。
俺と母親のやりとりを聞いていたらしい道具が、訝しげに呟く。

「・・・・・・・どんな病も治せる薬・・・・?」

薄く、笑う。

嘘ではない。
少なくとも、俺にとっては。

「死ねばどんな病気も進行しないだろう?」

薬を使っても使わなくても、どうせすぐ死ぬ。
欲しかったのは、その後その死体をどう扱っても構わないと偽装するための、直筆サイン入りの紙。
ただ焼くんじゃ勿体無いから、俺が金に換えてやる。

「・・・・どこが慈善事業」
「リサイクルってのは、立派な慈善事業だろう?」

唾棄するように吐き出す台詞に、肩をすくめた。

どうせ死ぬやつを使ってるだけ、優しいと思うがな。









//15歳

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静寂の中の音
ぴちゃん。

それは規則的な音。
それは継続的な音。

暗闇の中で、静寂の中で、その音だけが耳に響く。

視界が利かないのはキツく縛られた目隠しの所為。
それしか音がないのは、此処がぼくともう一人以外誰も居ない密室な所為。

ぴちゃん、ぴちゃん、と。

それは水が立てる音。

それは、液体が液体の中に落ちて、起こる音。

視界が真っ暗でも。
ぼくには、その部屋の映像が視えた。
1秒先のその場所の未来の画が、視えていた。

ぴちゃん、ぴちゃん、と。






ぼくではないもう一人の人の手首から、赤い液体が雫となって落ちる様が、視えていた。






そしてそれが。

途切れる、瞬間も。

動脈を切った手首から流れる血が、途切れるという意味は、流石にわかる。

つまり、この人は。
ぼくと同じ密室に閉じ込められて、数刻前に手首を切ったその人は。

もうすぐ、死ぬのだ。









ぼくは道具に堕ちても、「生きる」ことを選び。

彼は「生きる」ことを捨てても、気高き死を選んだ。


ああ誰か、教えてください。









ねぇ。

――――――いったいどちらが、正しかったの?









//10歳
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トラブル
俺は秩序とかルールとかいう面倒なものが嫌で、不良からヤクザになった。
ヤクザはヤクザで色々と掟があって、結局は日本人かと嫌気がさし、次はマフィアに。
流石にマフィアはやることがデカイと思ったが、結局ルールはルールとして存在していた。
集団とはそんなものらしい。
まぁいい。
裏の世界に居れば、少なくとも秩序は壊せる。

そして今回俺が命じられたのは、この会社で「トラブル」を起こすこと。
まぁ要は、ビジネステロだ。
手広くやってるよな、ウチの組・・・っと、組じゃねぇんだ。まぁいいや。
そしてそのために、俺に貸し与えられたモノがある。
失敗は許されないと、ボスに近いと噂される日本人の「兄貴」から言われた。
つまりは結構大事なミッションってこと。
で、だからコレを貸してくれた。
難しいことはよくわからないが、ビジネスビルなんて秩序の塊みたいなとこ、壊せるのは結構楽しみ。

・・・・でもどうやって使えばいいのコレ。
未来を読むってホントかよおい。

隣に居るのは小さな子供。

俺がちらりと目を向けると、どこかを見上げていた子供は不意に口を開いた。

「・・・・10秒後、あの角をターゲットが通過」

ホントかよ。

信じられるわけがない。
未来だって未来。どこのマンガだよ。
兄貴ー。コレを使えって本気?
とかって考えて、10秒はすぐで。

「・・・・・・・・うわマジ来た」

酷い冗談だ。

俺はあのターゲットにぶつかって鞄を落とさせ、同じ種類の鞄とすり替える。
その鞄の中には、トラブルの種。

本物の機密と若干だけ違う、契約書。

「1秒後、同僚と挨拶を交わす」

俺は歩き出す。
今度の声は、耳にした小型のスピーカーから聞こえた。

「2秒後声を掛けられて、振り返る。そこがチャンス」

思わず、思った。

―――――気持ち悪ぃ。

何だよコレ。
何だよ、コレ。

どんと肩に衝撃があって、鞄が落ちて。
ちゃんとすり替えて、それでも声は続く。

「10秒後搬入のトラックが通るから、それに隠れてターゲットの視界から消えて。後は合流場所へ」

思わずカウント。
10、9、8、7、6、5、4、3、2、1・・・・0。
大きなトラックが、直ぐ傍を、通った。

次に身体を襲ったのは、得体の知れない恐怖だった。

アレは、なんだ。

ありえねぇ。こんなの、有り得ない。

合流予定地で待っていた小さな姿が、俺を見上げる。
俺の顔に何を見たのか、首を傾げた。

「どうしたの?」

ああ、うん。
わかった。
コレは、モノだ。
道具だ。
使える、便利なモノ。

こんな気持ち悪いバケモノ、人間なわけがない。

「別に、どうも?」

俺は今日、ひとつ利口になった。









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正論を振りかざす
「親は子供を育てる義務がある!」

ぼくの目の前で、会話は行われた。

それはぼくとはまったく関係ない、ただ別の人と別の人の会話。
子供を捨てようとしている人と、それを止めようとしている人の。

「俺が生んだわけじゃない!」
「生まれてきた子に罪はないだろう!」
「本当に俺の子かどうかも怪しいんだぞ!?」
「子供は親に、愛される権利があるんだ!」

言い合いは続く。

子供を捨てるなんて、最低の人間のすることだ。

―――――では、子供を売るのは?

考え直せ、この子は何も悪くない。

―――――では、悪い異能の子は、いいの。

一方は完全な言い逃れで、一方は世間一般的にとても正しい。
けれどぼくは、その正しい人の言葉にいちいち傷ついた。

「可哀想だと思わないのか、その子が!」

あなたはぼくを、可哀想だと思うの。
なら、あなたは。


ならあなたは、ぼくに何かをしてくれるの?


台詞の一つ一つを聞く度に、心が冷える。
ああ、ぼくは。

何故だかとても、哀しかった。










//12歳

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逃げられない、逃がさない
ぼくは弱い。
だから、逃げられない。


アレは役に立つ。
だから、逃がさない。





「イツキ。「時計」をそのまま外に出す気か?」

あの賢しいガキと契約してから5ヵ月。
最初の1月は検査に費やした。両親の申告と予知の瞬間がばっちり映ったビデオでしか能力を確認していなかったから、実験と検査を繰り返し、能力値を測定した。
結果は予知確定率96%。
本物のバケモノだった。どうやら俺は運がいい。

この世は裏も表も、情報を制した者が勝つ。
未来の情報なんて、ほとんど金のなる木だ。

事実、この5ヵ月で、俺の地位は1つ上がった。

「いけないか?」

軽く笑って返す。
人を小馬鹿にした笑い顔は、もちろんわざとだ。
今日はこれから、買って初めてアレを外に出す。

「逃げたらどうする」

また、笑う。
今度は、はっきりとした嘲笑。

「逃がすと思ってんのか?」

この、俺が。
あんな役に立つ道具を、ミスして失くすと?

こいつに比べれば、あのガキの方が遥かに頭がいい。

アレは解ってる。
自分が此処から逃げられないこと。
賢いことが仇になる。
自分が弱く力のないことを知っている。
何が出来て、何が出来ないのか。
夢や希望や幻想の、御伽噺のようなバケモノの癖に、夢も希望も幻想もなく、現実的に何が出来て何が出来ないかを知っている。

だから、出来ないことは、やらない。

愚かで、やり易いことだ。
それとも未来がわかると、自然とそうなるのだろうか。
足掻かない。
挑まない。

そんなことをしたらどうなるか―――――わかるから。

本当に、愚かで、やり易い。

「・・・・花梨」
「なに」
「わかってるだろうが、一応言っとく」
「・・・・だから、なに」

腕を掴んで引き上げれば、軽い身体は簡単に持ち上がった。

「逃げようと思っても、無駄だ」

腕一本で体重を支える羽目になったガキは辛そうに顔を歪め、それでもじっとこちらを見返す。

「・・・・・・・知ってる」

ああ、これだから。

コレは愚かで賢しいガキだが、中々、愉しい。

「だろうな。それでいい。――――行くぞ」

俺はコレを使って、裏の世界をのし上がる。











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あなたの誇りはなんですか
「貴様らに話すことなどない」

手錠と鎖で戒められ、拷問を受けて尚、そう言う人を見た。
FBIの、マフィア捜査官。
潜入捜査をしていたこの人を、「視た」のは、ぼくだった。
一般構成員は立入禁止の部屋に連れていかれて、未来を視た。
誰かが来たのが視えてしまった時には、戦慄した。
告げれば。
・・・・・・こうなることは、わかっていた。

よほど手酷く痛め付けられたのか、手当てもされず血を流す姿に、顔を歪める。
勝手に体が震えて、思わず強く両腕を掴んだ。

ごめんなさい――――。

そう言いたくなったけど、言う権利はきっとぼくにはない。

場違いなぼくに、その人は若干顔色を変える。

「・・・なんだ、この子は。まさかこんな子供に危害を加えるつもりじゃないだろうな!?」

びくり、と。
申し訳なさに、体が震えた。
ぼくは。
ぼくは、あなたに、心配してもらう資格なんて、ないのに。
時期ボスと目されている男が、ぼくの後ろでせせら笑う。
ぼくの肩に手を置いて、にやりと、楽しげに笑った。
それをどう勘違いしたのか、FBIの男の人は更に叫ぶ。
ああ、叫ぶのも、体力を削るだろうに。
ぼくのために、その人は叫ぶ。

「貴様らに誇りはないのか!?」

この人は、とても、誇り高き、人。

「・・・・・勘違いすんなよ、馬鹿が。これに危害なんて加えたらどんだけの損害だと思ってる?」

嘲笑したまま、男は言う。
そして、ぼくの名を、呼んだ。

「花梨。コイツに未来を教えてやれ」

訝しげにぼくを見る、誇り高い優しい人。
ぼくは目の前に居乍ら彼と目を合わせられずに、俯いて目を閉じた。

そして視て、絶句、する。

言葉を失ったぼくを見て、後ろの男が楽しげに、笑った。

「どうした?花梨。早くしろ」

よろりと一歩後ろに下がって、茫然と、首を振る。
駄目だ。
言ったら、告げたら、この人は。
脚を引いた体はすぐに後ろの男にぶつかって、男は平然と、また厳然と、ぼくに言葉を投げる。

「仕事だ。言え」

ぼくは。
口を、開く。

「・・・・・・・・・あなた、は・・・・・・」

この人は、こんなに、いい人、なのに。
ぼくは。
ぼくは―――――・・・・・。


「・・・ぼくを殺そうとして、この、人に、撃たれる」


この人から誇りさえも奪って、死なせてしまう。
どんなに辛いだろう。
この優しい人が、守るべき子供(ぼく)を殺そうと決意するのは。
どんなに、辛いだろう。
この誇り高き人が、自ら誇りを汚すのは。

「・・・何、を」
「おっと、馬鹿にしない方がいいぜ?コイツがウチの「最高機密」だ。予知能力は便利でな」
「・・・・!まさか、この、子供が貴様らの・・・?」
「ああ。しかし、意外と平凡だな。言い淀むからもっと面白い末路を期待したのに」

ごめんなさい。
ごめんなさい。
ごめんなさい。

ごめんなさい。

許して、なんて。
言えるわけが、ない。

ぼくの、誇りは。
ずっと前に、粉々に壊して捨ててしまった。
今、ばくが誇ることができる信念なんて、ひとカケラすらも、存在しない。

ごめんなさい。

それでも。

それでもぼくは、生きたいのです。









//15歳
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頭がぼおっとする。

「・・・りん。花梨。何をしてる?行くぞ」

男の声が酷く遠い。
今日の仕事はこれから警察に行って、ある刑事と密かに顔を合わせて、その人の未来を見ること。
ぼくは子供だし、一般人だから、警戒されずに会うのは簡単だ。
だから、これから出かける、のに。

体が上手く動かない。

「・・・・・・おい」

黒服が埒が明かないとぼくの腕を掴む。
強く引かれて、くらりと、視界が揺れ。

「ぁ・・・・・」

捕まれた腕はそのままに、膝を着いた。

はぁと、吐いた息が熱い。

辛うじて膝を着くに留めていた片腕が、支える力を失ってくたりと崩れた。
ぶらんと、捕まれた腕だけが無意味に上にある。

「・・・・・・りん、・・・した?」
「・・・・・す?・・・さん」
「・・・・ば、・・・・・・ずだ。お前、持て」
「はい」

すぐ上で交わされた会話が遠い。
聞き取れないままに力の入らない体が浮いて、砂袋か何かのように肩に担がれる。
逆らう気力も起きない。
視界が次々と流れて、やがて車に放り込まれた。

これは、熱だ。

覚えがある。
前のときは、母さんが、冷たい、桃を。
何も食べたくないと言ったら、缶詰を買ってきてくれて。
嬉しかったことを、覚えてる。

男の顔が、目に映る。
ぼくに顔を近付けて、耳元でゆっくり言葉を発音する。

「仕方がないから刑事の前には連れていってやる。未来は見れるんだろうな?」

ぼくは、薄く、笑う。

何を笑ったのかよくわからない。
帰らない過去を振り返った甘い自分か、こんな病人を運んでまで未来を知りたいと言う男か。
それとも、もしかしたら心のどこか片隅で、「休んでいい」と言ってくれるかもしれないと期待していた愚かな心かもしれない。

体は上手く動かない。
頭もぼおってしている。
会話も、遠い。
けれど。

「・・・・・・目、は、見えてる・・・」

だから、何も問題なんて、ない。


問題なんて、ない、のだ。









//12歳
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あたかも爆発したかのように
視界の中で、閃光が弾けた。
いきなり白で視界が埋め尽くされて、びくりと身体が揺れる。

「まだだ」

肩を掴まれて耳元でそう囁かれ、ぼくはぎゅっと目を瞑る。
目を閉じても意思を持って切らない限り、視界は映像を映す。
今ではない未来の、映像を。

「まだ視続けろ、花梨」

それはあたかも爆発したかのように、見えた。
否、違う。
「あたかも」でも、「ように」でも、なくて。

恐い。
恐い、恐い、こわい。
――――これ以上、視たく、ない。


閃光が収まったその場所には、黒く煤焦げた地面と、飛び散った赤い水の跡、それから。
鮮やかな、鮮やか過ぎるピンク色の肉と真っ白な骨をむき出しにして倒れる、下半身。
上半身はまるで破裂した水風船のゴムのように、バラバラになって周囲に――――・・・


「・・・・・・っ・・・・ひ、ぃ、やぁあっ!」


そこでぼくは目を開けた。
集中力が切れた所為で映像がぼやける。
恐怖と嫌悪で流れた涙も、更に映像を揺らした。

首を振る。

「や、いや・・・・ぃやっ・・・!」
「・・・・花梨」

ぼくの通訳兼お目付け役を命じられた男、ぼくと契約した男、野心家の日本人は、ぼくの目を覗き込む。
底の見えない黒い目から逃れたくて顔を背けようとしたら、顎を取られて固定された。
それでも、小さく首を振る。

「ぃゃ・・・・・」
「これはビジネスだ、花梨」

びくん、と。
身体が揺れた。

これは。
ぼくの、生きる道。
たった一つの、ぼくの、生き方。

「こいつが三日後にちゃんと死ぬかどうか。知りたいのはそれだ。さっさとお前の仕事をしろ、花梨」

震える身体を押し殺して、目を、閉じる。
どうしてと、何度も何度も何度も、心の中で叫んだ。
どうして。
どうして、どうして、どうして、こんなっ・・・!

掠れた声で、未来を、告げる。



――――ああ。

知っているのに何もできないと言うのは、何て。
何て、最低の、ことだろう。




ぼくは、罪のかたまり。









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主導権を握る
「お前が不動花梨か」

両腕を掴まれてモノのように運ばれて、最初に聞いた言葉。
ここまでぼくを連れてきた表情のない黒服たちと違って、シニカルに笑う日本人。
飛行機に乗ったのは知っていた。
ぼくが「買われた」のはマフィアだ。
その拠点が日本ではないことも、少し考えれば分かる。
イタリアか、アメリカか。それとも?
よくわからないかったけど、それはあまり重要ではなかった。

「・・・・・ガキの相手をすんのか。面倒だな」

日本人。
明らかに毛色の違うこの人は、幹部なのか、それとも違うのか。
重要なのは、それ。

「・・・・あなたは、誰」
「・・・・・・・・・。口の利き方に気をつけろ、ガキ。俺より偉いとでも思ってんのか?」

その台詞で、とりあえず、確信する。
この人は、それなりに、偉い。

この先。
ぼくがぼくの人生を歩むためには、ここで。
この男と対峙して、主導権を握らなければならない。
一時でもいい。
一瞬でも、構わない。
ぼくの要求を、ぼくの処遇を、認めてもらわなければ、ぼくに未来(さき)はない。

「お兄さん」
「お前の役目は俺の言った未来を見て俺に伝えること。他はない。言うことも以上だ。連れてけ」
「・・・・・お兄さん、ぼくを信用できるの?」
「・・・・あ?」

賭けに似た、綱渡りの、攻勢。
さぁ――――背筋を伸ばせ。目を、逸らすな。

「予知なんて、信用できなければ使えない。使えない予知は、お兄さんたちには要らない。ねぇ、どうやって、ぼくを使う?」

主導権を。

その手に、握れ。





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