安 蘭 樹 の 咲 く 庭 で

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LDK
約10年ぶりに一人で外に出た日。
真っ先に、ぼくは空港に向かった。
独学の聞き取り英語は完璧とは言い難く、四苦八苦しながら、それでも目指したのは空港だった。
―――――日本、だった。

結局パスポートはないわお金はないわで、すぐには飛行機には乗れなかったのだけど。
ぼくは、帰りたかった。
ぼくの、生まれた国へ。
ぼくの、生まれた場所へ。

すぐには帰れないと知って、ぼくは方針を変えた。
頼み込んで料金を後払いにして貰い、ホテルを借りて。
銀行に口座を作って、「仕事」に報酬を貰うことに決めた。
自由になっても、どうせ仕事からは逃れられない。
それから逃げようとしたら、永遠に囚われるだけだ。
なら、少しでも、損害を与えてやろうと思った。

金額は、昔決めた額と同じ。
今度は借金の返済ではなく、預金になる。

たった一ヵ月で、預金はアメリカドルで0が4つ並んだ。

その頃にはパスポートも再発行の手続きが済んだ。
もともとぼくは前科もない、普通の日本人で。
行方不明にも死亡にもなっていなかったから、発行は簡単だった。

そして。
ぼくは、日本に帰ってきた。

約10年ぶりに訪れた日本はほとんど記憶と違っていた。
昔住んでいた家はなくなっていて、周囲も開発で変わっていて。
記憶と変わらなかったのは出雲大社くらいだった。
少し調べたら、ぼくの住んでいた家が火事になったことはすぐにわかった。
放火だったと、言う。
住民は行方不明。
問い詰めるまでもない。
誰がやったかは、すぐに思い当たった。
兄さんのときは研究所だったからよかった。でも、ぼくのときは、マフィア。
相手が悪かったと、そういうことなのだろう。
焼け跡のあとにはもう新しい家が建っていた。
その年月が切なくて、でも、ぼくは泣けなかった。
幼いぼくは両親が好きだった。
今のぼくは、どうなのか。
よくわからなかった。
だから、泣けないのだろうと思った。
実際は、実感が湧かなかった、というのが正直なところかもしれない。

出雲はあまりにも切なかったので、ぼくは東京に住むことにした。
理由は二つ。
一つは仕事で呼ばれても、交通が便利だから。
もう一つは、沢山の人が居るから。

東京に着いたぼくは、最初はぶらぶらと無意味に歩き回った。
次にお金だけはあったから、適当な部屋を借りた。
2LDKの、シンプルなアパート。
ぼくの、家。
居なければいけない場所ではなく。
与えられた場所でもなく。
ぼくが選んだ、ぼくが居てもいい、場所。

これがぼくの、第一歩。
「自由」が、漸く始まる。









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