安 蘭 樹 の 咲 く 庭 で

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心頭滅却すれば
ぼくがたまに行く店。
古いビルの2階にある、ひっそりとした扉の小さな店。
否、それなりの広さはある。けれど、林立された本棚の所為で、とても狭く見える、店。

「古書喫茶」。

喫茶と言ってもメニューもなくほとんどセルフで、出てきてもコーヒー、という、喫茶とは言えないくらいの喫茶店。
本棚に隙間なく並べられたジャンルの様々な本は、閲覧自由持ち出し可。
図書館と違うのは、あまり大勢の人が来ないところと、24時間何時でも開いているところ。それから、置いてあるのは古書が中心であるところか。
ひっそりとした佇まいのドアには店の名前もなく、「welcome」の札が下がっているだけ。
普通の人は、まず、開けない。
ぼくがその店を知った経緯はまぁ、此処では省く。

「いらっしゃい、花梨さん。まだまだ暑いですね」

そう零したのは人当たりのいい、店主の青(せい)。
彼がこの部屋から出たのをぼくは見た事がない。
この部屋は適度な冷房が効いているし、部屋の間取り的に日光があまり入らない構造なので暑くはない、のだけど。
気を使って話題にしてくれたのか、それとも外に出たのか。それが少し謎だ。
寡黙にコーヒーを青の居るカウンターに置くのは従業員の緑(ろく)さん。
どう贔屓目に見ても中学生の青と30台だという緑さん。
これで店主は青なのだから、それも謎といえば謎。
でも、それはぼくが口を出すことではないし、言ってみれば「どうでもいいこと」だ。
大事なのは、誰が店主か、誰が従業員か、そんなことではなくて。

「そうだね。こんにちは、青。緑さんも。今、誰か来てる?」
「ええ。高埜さんがいらしてます」
「ああ、彼女か」

此処はとても、居心地がいいと、いうこと。

入り口から本棚を縫って奥へ行けば、幾つかのテーブルと椅子。
この部屋唯一と言っていい窓の傍の席に、一人の女子高校生。
この店は、店主も従業員もいい人で。
それから、客も選んだようにいい人だ。

「こんにちは」
「御機嫌よう、花梨さん」
「相変わらずの指定席だね。たまには別のところに座ればいいのに」
「気に入ってるのよ、此処」

全寮制の女子高に通っているという高埜鏡子嬢。
お堅いイメージはあるのに、何故かよくここに居る。
昼夜問わず。夜には少し客が増えるからと、ウエイトレスのようなことすらしていた。
彼女もまた、謎といえば謎だ。

そして次によく会うのは、「謎」の塊。

「・・・・・・暑い」

何時の間に後ろに居たのか、声に振り返ればその謎の塊がひっそりと立っていた。
青よりも更に幼い容姿。
けれど自称、ぼくよりもずっと年上。

「東雲さん」
「御機嫌よう、静里香ちゃん」
「また会ったな。花梨、鏡子」

彼女は。
「魔法使い」なのだと、言う。
真偽を問うたり一笑に付すような無遠慮な人は、此処には来ない。
だからぼくも、本当のところはよく知らない。
それでいいと思う。
本当に魔法使いだったらそれはそれで素敵だと、思う。
というか、結構信じてるかもしれない。

「しかしそなたら、青もだが・・・妙に涼しげだな」
「そうかな?」
「そうかしら?ちゃんと暑さは感じているわよ?」
「佇まいがこう・・・なんというか、暑さも裸足で逃げそうだ」
「それ、高埜さんだけじゃ・・・」
「褒められているのか貶されているのか判断が難しいわね」
「とにかく、「あーつーいー!」という叫びが聞こえん。不思議だ」
「そうね・・・強いて言えば、あれかしら」
「「あれ?」」

此処で緑さんがコーヒーを二つ持ってきてくれて、やはり寡黙にテーブルに置く。
何も言わずに去るかと思いきや、ぼそりと、小さく一言呟いた。

「心頭滅却すれば、でしょうか」

三人で目を瞬く。
それから「あれ」と言った高埜さんが、くすりと妖艶に笑った。
彼女はたまに目の毒だと、思う。

「流石ね。心頭滅却すれば火もまた涼し―――要は気力の問題よ」

なるほどと、ぼくと東雲さんは妙な説得力に感心した。

此処は、場所も店主も従業員も客も、不思議な店だ。









//21歳

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制御し難い感情
これ以上、彼を好きになってはいけない。

そう思うのに、思うように、上手く行かない。
どうしてこんなに彼は優しくて、ぼくは甘えてしまうのだろう。
もう会ってはいけない。
彼のためを考えれば、間違いなくそれが正解。
ぼくと関わらせてはいけない。
さようならも告げずに、予知を駆使して、離れるのが、ぼくにできる唯一のこと。
なのに。

なのに。

ああ、どうして。

「・・・・こんばんは」

会えてこんなにも嬉しいと、心が叫ぶ。

既に巻き込んでしまった。
ぼくと関わっていたら、きっとぼくは彼をもっと巻き込んでしまう。
それなのに、ぼくは、また、彼に会いたくなる。
会って、話して、笑顔を見たいと、思う。
甘えてしまう。
彼は優しいから。
彼はとても、優しいから。

いけないのに。
今度だけ、これでおしまい――――何度、そう、思ったことか。

ぼくは、なんて、弱い。

制御し難い感情が、風に翻弄される木の葉のように揺れ動く。

ぼくは。


ぼくは彼に、何を返せるのだろう。









//21歳
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奇跡の目撃者
それは奇跡のような光景だった。

降り注ぐ鉄骨。
不思議な色の瞳をした少女が、その中を泳ぐように動く。
その目は何処も見ていないようで、しかし全てを見通すように煌いて。
必要最小限の動きで歩行者の位置を動かして固定し、時には強引に押し出して。
一人の腕を引き一人の背中を一歩押し、少し離れた次の一人に走る。
遥かな高さから落下したビルの骨組みである鉄骨は、少女が最後の一人を押し倒した瞬間に、爆音のような音を立ててコンクリートに突き刺さるように到着した。
土煙が舞って、視界が不明瞭になる。
一部始終をただ眺めていた野次馬が、一拍遅い悲鳴を上げた。
爆音と悲鳴に感化されて、野次馬は一層増える。
僕は思わずぎゅっと拳を握って、彼女と通行者たちの末路を確かめるべく目を凝らした。

そして土煙が収まった、歩道には。

通行人を避けるように林立した、無骨な鉄骨の、林。

皆何が起こったかわからないという顔で、呆然と立っている。
斜めに地面に刺さっている鉄骨もあれば、横倒しになっているものもある。丸太を組み合わせたように刺さっているものもある。
なのに。

誰一人として、怪我人は居なかった。

戦慄する。
僕だけなのだろうか。気付いたのは、見ていたのは、僕だけ?

彼女が、あの、わけがわからないといってもいいような動作で、次々と通行人を動かしていかなければ、鉄骨の下敷きになった人間は絶対にいた。
それはまさに、奇跡のような、光景。

彼女はほっとしたように微笑んで、そして自分は何もしなかったかのように、立ち上がる。
誰も止める者がいないことを幸いと、そのまま、何も言わずに踵を返した。

僕は奇跡なんて信じたことはなかった。
そんなものはないと、迷信だと、思っていた。
けれど、これは。
これは、正しく――――・・・。

「奇跡って、本当にあるんだ・・・・」

この日から、僕の人生観は少し変わった。







//20歳
コメント(0)トラックバック(0)16〜20歳
 


あたかも爆発したかのように
視界の中で、閃光が弾けた。
いきなり白で視界が埋め尽くされて、びくりと身体が揺れる。

「まだだ」

肩を掴まれて耳元でそう囁かれ、ぼくはぎゅっと目を瞑る。
目を閉じても意思を持って切らない限り、視界は映像を映す。
今ではない未来の、映像を。

「まだ視続けろ、花梨」

それはあたかも爆発したかのように、見えた。
否、違う。
「あたかも」でも、「ように」でも、なくて。

恐い。
恐い、恐い、こわい。
――――これ以上、視たく、ない。


閃光が収まったその場所には、黒く煤焦げた地面と、飛び散った赤い水の跡、それから。
鮮やかな、鮮やか過ぎるピンク色の肉と真っ白な骨をむき出しにして倒れる、下半身。
上半身はまるで破裂した水風船のゴムのように、バラバラになって周囲に――――・・・


「・・・・・・っ・・・・ひ、ぃ、やぁあっ!」


そこでぼくは目を開けた。
集中力が切れた所為で映像がぼやける。
恐怖と嫌悪で流れた涙も、更に映像を揺らした。

首を振る。

「や、いや・・・・ぃやっ・・・!」
「・・・・花梨」

ぼくの通訳兼お目付け役を命じられた男、ぼくと契約した男、野心家の日本人は、ぼくの目を覗き込む。
底の見えない黒い目から逃れたくて顔を背けようとしたら、顎を取られて固定された。
それでも、小さく首を振る。

「ぃゃ・・・・・」
「これはビジネスだ、花梨」

びくん、と。
身体が揺れた。

これは。
ぼくの、生きる道。
たった一つの、ぼくの、生き方。

「こいつが三日後にちゃんと死ぬかどうか。知りたいのはそれだ。さっさとお前の仕事をしろ、花梨」

震える身体を押し殺して、目を、閉じる。
どうしてと、何度も何度も何度も、心の中で叫んだ。
どうして。
どうして、どうして、どうして、こんなっ・・・!

掠れた声で、未来を、告げる。



――――ああ。

知っているのに何もできないと言うのは、何て。
何て、最低の、ことだろう。




ぼくは、罪のかたまり。









//11歳
コメント(0)トラックバック(0)10〜15歳
 


歓喜の渦中
宴も酣。

宴会なんてどこの世界も変わらない。
酔っ払いの喧騒も、祝杯の酔い易さも。

今宵宴に参加しているのは、下克上が成る前から、「ボス側」だった人たち。
ぼくという「コマ」やボスの性格、能力を鑑みて、ボスに・・・・つい最近名実共に「ボス」になった彼に追従することを決めた、部下たち。
これは歓喜の声が木霊する、勝利の宴。

その騒ぎの渦中で、ぼくは一人寡黙に座っている。

ぼくに構う人は誰も居ない。
ぼくは道具で、今は宴で。
現時点で必要のない道具は、ただあるだけなら背景と化す。

ぼくが此処に買われたのは10歳の時。
もう、10年。
モノ扱いにも、背景になることにも、もう、慣れた。
彼らの喜びはぼくには関係ない。
同時に、ぼくの感情も、彼らには関係ない。

何故ぼくは此処に居るのだろう。
何度も考えたことがある。
でもそれももう、終わりだ。

あの日。
ボスとぼくが交わした契約は、果たされた。
ぼくはボスが―――彼が「ボス」になるまで彼の言を最優先に予知を行う。
その予知に対して、組織とは別に彼がぼくに報酬を払う。
その報酬は、ぼくを買う際に両親に支払われた金額―――ぼくの「借金」の、返済に充てる。
これは、ビジネスだ。
ぼくの「借金」は、彼が「ボス」になった日のあの予知で、消化し終えた。
だから、ぼくは。
明日から、此処を出ることができる。
「仕事」から逃れることはできないが、それでも。
ぼくは。
自由を手に入れた。

大勢の歓喜の渦中で、その喜びとは無関係に、ぼくは静かな歓喜に身を染めていた。






//20歳
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