恥じ入る心 |
2007年9月25日 21時30分
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「何時如何なる時も、己を恥じ入る心を忘れてはならない」
「はい、先生」
正座をした幼いぼくが、正面の人を見上げて答える。
その時ぼくは心の底から本当に、その人を尊敬していた。
否。今だって、ぼくはあの人を尊敬している。
けど。
「アイツが何処へ逃げるか視とけ」
「・・・・三つ目の路地を、右。小さな木の扉を開ける」
ぼくの言葉を受けて部下に指示を出す男。
これで逃げた「制裁者」を確保できれば、また彼の功績となる。
力があれば、上へは上がれる。
真実弱肉強食の、裏の世界。
心の奥で「逃げて」と思うぼくが居る。
けれどぼくは先ほど彼の行き先を告げ、捕まえる手助けをしている。
なんという矛盾。
恥も外聞もない、ただ、自分の安全と自由のための、告げ口。
唾棄すべき、行為。
これをぼくは、ずっと続けてきた。
代償と呼ぶには多すぎる、大きすぎる罪は幾つも重なり、きっともう清算も償いも間に合わない。
「己を恥じ入る心を、忘れてはならない。そうすれば、最低限、自分だけは裏切ることなく生きていける」
書道の先生だった。
両親はぼくに甘く、大抵はぼくのお願いを聞いてくれて。
習いたいと行ったら、お稽古に通わせてくれた。
厳粛な、人だった。
幼いぼくの頭では全てを理解できなかったけど、その潔さは感じられた。
ぼくは、真っ直ぐな、高潔な先生の生き方が好きだった。
けど。
きっと今のぼくを見たら、先生は目を背けるだろう。
それとも。
今の、ぼくを見て。
恥を知れと言って、怒ってくれるだろうか。
見せることはできない。
先生に失望されたくないし、ぼくはぼくの罪を打ち明けられるほど強くない。
それにまだ、見せる自由もない。
携帯で部下からの報告を受け取った男が、またぼくを見る。
「隠れているみたいだな。どこに居る?」
一秒先の、未来を視る。
一秒ではそれほど動くはずがないから、隠れている場所も、視える。
ぼくは、それが彼に何をもたらすか知りながら、告げる。
「―――――カウンターの裏に」
自分を、恥じ入る、ことを。
覚えているのなら、きっと、こんなことはできない。
これはとても、恥ずべき行為。
//18歳
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