安 蘭 樹 の 咲 く 庭 で

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命の重さ
「此処」では、命は軽い。
哀しいことに、とてもとても、軽い。

昨日立っていた人が次の日にはいなくなっている。
そんなことは珍しくもなくて。
目の前で人が死ぬことも。
やっぱり珍しくなくて。
殺せと指示が下され、それが実行されることも。
珍しいわけが、ない。

麻痺していく。
嘆きが潰えていく。
何も思わなくなっていく。

死は事象ではなくなり、ただの数字と成り果てる。

ぼくのところまで届く死は、あまりないのだろうけど。
それでも尋常な感覚は、消え失せていく。

重いのは情報で。
重いのは金銭で。
重いのは権力。

命は皆、使い捨て。

それはだって、「彼」が、はっきりそう、言うから。

「使えるモノだけ使ってやる。使えないモノは死ね」

あとは右に倣えだ。

昔は違ったのだ。
ぼくを最初に買った先代の「ボス」は、いい人では決してなかったけど、「彼」ほど極端ではなかった。
少なくとも、ファミリーは守っていた。
ゴッドファーザー。
その名前を体言していたような、ボス。
それでもやはり、ファミリー意外の人間の命はとても軽かったけど。

「彼」の。
今の「ボス」の前では、命は塵芥に等しい。

利用する、利用する、利用する。
生も死も、利用できるモノは全て。

命の重さが、狂っていく。

重さを測る天秤の片側には、一体、何が乗るのだろうか。









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