瘡蓋 |
2007年10月28日 23時33分
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心の傷も、身体の傷も。
いい意味でも悪い意味でも、何も変わらない。
身体の傷は自分で癒す。
病院に行くことがあっても、結局のところ自己治癒力がものを言う。
瘡蓋が治りかけの合図で、やがて治る。
心の傷は他人が癒してくれる。
傷つけるのも他人なら、癒してくれるのも、他人。
瘡蓋のように目に見える合図はないけれど、ちゃんと、治る。
暖かい言葉や。
優しい笑顔。
柔らかい空気に、治してもらう。
どちらも、時間の経過とともに、やがて治る。
これは、いい意味での、「同じ」。
では、悪い意味での「同じ」はと言うと。
「――――『わたしはなにもしらない』」
「・・・・っ・私は、何も知らなっ・・・!?」
「『なんだ、このおんなは』」
「なんっ!?何故、俺の」
「『おれのいおうとしていることを』」
「・・・・・・・・・・・『ばけもの』」
「・・・・、・・・っ・・・・バケモノっ・・・!!」
未来を見ることは、使おうと思えば、色々な使い道がある。
例えば彼の一秒先を見て、唇を読むなんて、簡単なこと。
恐怖に満ちた顔も、ぼくから逃げようと押さえつけられている両腕を動かそうとする様も。
ぼくの目には、一秒早く視えている。
ある人は言ってくれた。
『凄いですね』と。
ぼくが予知をできると言ったら、微笑んで、そう。
生々しく血を滴らせていた心の傷は、それで少し、癒えて。
そして此処で、再び蹂躙される。
瘡蓋を無理やり剥がせば、傷は悪化する。
治りかけを、化膿させる。
それと、「同じ」。
癒されて治りかけた心の傷は、治る前よりも深く強く、抉られる。
優しい言葉を知ってしまえば。
ナイフのような言葉は、鋭さを増す。
「こ・・・このバケモノをどこかへやってくれ!」
「俺が知りたいことを聞いてからだ」
「話すっ!話すから、コレを!」
「話してからだ」
これが、悪い意味での、「同じ」。
身体の傷も、心の傷も。
治りかけは、脆い。
瘡蓋を剥がせば、覗くのは生々しい、赤い肉。
//21歳
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